成道山 法輪寺

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御法語

元祖大師法然上人御法語 後編 第一章

(本文)

浄土門(じょうどもん)というは、この娑婆(しゃば)世界を厭(いと)い捨てて急ぎて極楽に生まるるなり。彼(か)の国に生まるる事は阿弥陀佛の誓いにて人の善悪を選ばず、ただ佛の誓いを頼み、頼まざるによるなり。このゆえに道綽(どうしゃく)は浄土の一門のみありて、通入(つうにゅう)すべき道なりと曰(のたま)えり。さればこの頃生死(しょうじ)を離れんと思わん人は、証(しょう)し難き聖道(しょうどう)を捨てて行き易き浄土を願うべきなり。この聖道(しょうどう)浄土をば、難行道(なんぎょうどう)易行道(いぎょうどう)と名付けたり。喩(たと)えをとりてこれを言うに、難行道(なんぎょうどう)は険しき道を徒歩(かち)にて行くが如(ごと)し。易行道(いぎょうどう)は、海路(かいろ)を船に乗りて行くが如(ごと)しと言えり。足(あし)萎(な)え目(め)しいたらん人は、かかる道には向かうべからず。ただ船に乗りてのみ向かいの岸には着くなり。しかるにこの頃の我らは智慧の眼(まなこ)しい、行法(ぎょうぼう)の足(あし)萎(な)えたる輩(ともがら)なり。聖道難行(しょうどうなんぎょう)の険しき道には、総じて望みを絶つべし。ただ弥陀の本願の船に乗りて生死(しょうじ)の海を渡り、極楽(ごくらく)の岸に着くべきなり。

 

(現代語訳)

浄土門とは、この娑婆世界を厭い捨て、急いで極楽に生まれる〔という教え〕です。

その国に生まれることは、阿弥陀仏の近いによるのであって、人の善悪にかかわりなく、ただ、仏の誓いを頼みとするかしないかにかかっているのです。それゆえに、道綽禅師は「ただ浄土の一門だけが通入することのできる道である」と言われたのです。ですから今の時代、迷いの境涯を離れたいと望む人は、覚りを得ることの困難な聖道門を捨てて、往くことの容易な浄土門を願うべきです。

この聖道門と浄土門とは〔それぞれ〕「難行道」「易行道」とも呼ばれています。たとえば、難行道は険しい道を徒歩で行くようなもので、易行道は海路を船に乗って行くようなものであると言われています。

足が動かず目も不自由な人は、この〔険しい〕道に向かうべきではありません。ただ船に乗るときだけ向こう岸に着くのです。

さて、今の時代の私たちは、智慧の眼を失い、修行の足も動かない者です。聖道門という難行の険しい道には、すべて望みを絶つべきです。ただ、阿弥陀仏の本願の船に乗ってのみ、輪廻の海を渡り、極楽という向こう岸にたどり着くべきなのです。

(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)

 

(解説)

「人間死んだらそれで終わりや。生きてる間においしいものを食べて、行きたいところに行って、好きなことをしないともったいない。
一度きりの人生や」と世間ではよく言います。
しかし仏教が説かれるベースはその考え方ではなく、死後には必ず何かに生まれ変わると説きます。
死んだらそれで終わりならば、生きている間何をしたっていいでしょう。
死んで終わりならば好き放題にすればいいでしょう。
仏教の教えでは生きている間の行いによって、次に生まれ変わる先が決まるといいます。ですからこの世での行いを律していくことが大切なのです。
日本人は「生まれ変わる」というと、楽観的にとらえるようです。
「生まれ変わっても一緒になろうね」とか、「生まれ変わっても友達でいようね」などと割と気楽なとらえ方をします。
しかし本来仏教が説かれたインドではそんな甘いとらえ方はしません。
生きるっていうのは苦しみを伴います。
長く生きていたら、愛する人との別れを何度も経験します。
反対に嫌いな人とは会わなくては行けません。
嫌いな人と会うっていうのは辛いものです。
職場の悩みのほとんどは人間関係だといいます。
とても苦しいことです。
生きておれば必ず老いてゆきます。
老いていけば今までできたことができなくなります。
楽しみであったことが楽しみでなくなります。
趣味で楽しんでいたことが、体の自由がきかなくなると、苦痛になることもあります。
また生きていたら必ず病気になります。
そして嫌でも必ず死にます。
しんどい思いをして、ようやく楽になると思いきや、また生まれ変わるのです。
それも人間に生まれ変わるならまだしも、地獄、餓鬼、畜生といった人間と比べものにならないほど苦しい世界に生まれ変わることがほとんどだといいます。

仏教は自業自得を説きます。
生きている間に自分が生きるために自分ばかりを優先するという煩悩による行いばかりを繰り返してきた私たちは地獄、餓鬼、畜生に生まれ変わらざるを得ないといいます。
そして苦しみ尽くした挙げ句、また苦しい世界に生まれ変わります。
そしてまた生まれ変わります。
延々と苦しい世界を未来永劫まで彷徨い続けるわけです。インドの人々はそれを恐れるのです。
それはとても恐ろしいことです。
いつまで経っても苦しみ迷い続けなくてはならないのですから。
その輪廻の世界から脱出するのが仏教の目的です。
「解脱(げだつ)」という言い方もありますね。
輪廻から解き抜け出すのです。
「出離(しゅっり)」ともいいます。
輪廻から出て離れるのです。

この抜け出す方法に大きく分けて二つあると法然上人はお説き下さっています。
一つは自分の力で抜け出す方法です。
輪廻の原因は煩悩です。
修行してその煩悩を削り取って削り取ってなくすのです。
そうすれば輪廻から解脱、出離することができるといいます。
「成仏」や「覚りを開く」というのはそういうことです。
この道を「聖道門」といいます。

もう一つの方法は自分の力でとても煩悩を断ち切ることができないけれども、阿弥陀さまの力で抜け出させていただく方法です。
これがお念仏のみ教えです。
これを「浄土門」といいます。
これらのことを踏まえていただいて、本文を見て参ります。

「浄土門というは、娑婆世界を厭い捨てて急ぎて極楽に生まるるなり」
「浄土門というのは、この娑婆世界は嫌だと捨てて急いで極楽へ生まれようというおしえである」
娑婆世界というのはこの人間の世界だけではありません。
輪廻の世界すべてをいいます。
生まれ変わり死に変わり苦しみ続ける世界から逃れ出て極楽へ往生するのが浄土門です。

「かの国に生まるることは、阿弥陀仏の誓いにて、人の善悪を選ばず、ただ仏の誓いを頼み頼まざるによるなり」
「極楽浄土に往生するにはどうすればよいかというと、阿弥陀さまの誓いによって、各々の善悪は関係ないと信じて、ただ阿弥陀さまの誓いを頼むか頼まないかによるのだ」

聖道門は善悪を選びます。
善でなくてはいけないのです。
悪というのは煩悩による行いです。

「このゆえに道綽は、浄土の一門のみありて通入すべき道なりとのたまえり」
「よって道綽禅師は浄土の一門だけが私たちが通ることができるみちであるとおっしゃっている」
自分の力で煩悩を無くすことさえできない私たちが通ることができる道は、浄土門しかないと道綽禅師はおっしゃいます。

「さればこのごろ生死を離れんと思わん人は、証し難き聖道を捨てて、往きやすき浄土を願うべきなり」
「だから今の時代に輪廻を離れようと思う人は、覚ることが難しい聖道門を捨てて、往きやすい浄土を願うべきです」

「この聖道浄土をば、難行道易行道と名付けたり。」
「この聖道門を難行道といい、浄土門を易行道と名付ける」

「譬えをとりてこれをいうに、難行道は険しき道を徒歩にて行くがごとし。易行道は海路を船に乗りて行くが如しといえり」
「たとえると、難行道というのは険しい道を歩いて行くようなものだ。易行道は海を船に乗って行くようなものだ」

「足萎え目しいたらん人は、かかる道には向かうべからず」
「足が悪く、目が見えない人はこのような険しい道を歩いて行くことはできないであろう」

「ただ船に乗りてのみ、向かいの岸には着くなり」
「ただ船に乗れば、足が悪くても目が見えなくても向かいの岸に着くことができる」

「しかるにこの頃の我らは智慧の眼しい、行法ほ足萎えたる輩なり」
「考えて見ると今の時代の私たちは、体の目は見えていても智慧の目が見えていない。足は動くけれども行を行う足が動かないのである」

「聖道難行の険しき道には、総じて望を断つべし」
「聖道門という難行の険しい道には、すべて望みを断つべきである」

「ただ弥陀の本願の船に乗りて生死の海を渡り、極楽の岸に着くべきなり」
「ただ阿弥陀さまの本願の船に乗れば、生死輪廻の迷いの海を渡り、極楽浄土の岸に着くべきである」

浄土真宗の阿弥陀さまの後背は、お慈悲の光があらゆるところを照らしていることを表します。
浄土宗の阿弥陀さまの後背は船の形をしています。
これは阿弥陀さまのお慈悲の船を表します。
阿弥陀さまのお慈悲の船とは即ち本願の船です。
私たちは自分の力では到底生死の海を渡ることなどできないのですから、どうぞ阿弥陀さまに身を委ねて、極楽へ往生させていただきたいものです。

元祖大師法然上人御法語第三十一章

(本文)

念仏の行(ぎょう)を信ぜざらん人に会いて、御物語(おんものがた)り候(そうら)わざれ。いかに況(いわ)んや宗論(しゅうろん)候(そうろ)うべからず。強(あなが)ちに異解異学(いげいがく)の人を見てこれをあなずり誹(そし)ること候うべからず。いよいよ重き罪人になさんこと不憫(ふびん)に候うべし。極楽を願い念仏を申さん人をば塵刹(じんせつ)の外(ほか)なりとも父母(ぶも)の慈悲に劣らず思(おぼ)し召(め)すべきなり。今生(こんじょう)の財宝ともしからん人をば、力を加えさせ給うべし。もし少しも念仏に心をかけ候わん人をば、いよいよ御(おん)勧め候うべし。これも弥陀如来(みだにょらい)の本願の宮使いと思(おぼ)し召(め)し候うべし。

 

(現代語訳)

念仏の行を信じていない人に出会っても、話し込んではなりません。まして宗派同士の論争などすべきではありません。解釈や学問の異なる人を見て、むやみにその人を軽んじ、誹謗することがあってもなりません。〔相手を〕ますます重罪の人にするのは、気の毒でありましょう。

極楽を願い、念仏を称える人がいれば、無臭の世界のかなたにあっても、父母の慈愛に劣らずお思いになるべきです。この世での財宝が乏しい念仏者には援助なさってください。もしわずかでも念仏に心を寄せている人には、ますます〔念仏を〕お勧めください。これも阿弥陀如来の本願へのご奉仕とお考えになってください。

(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)

 

(解説)

法然上人が生きた時代は、平安末期から鎌倉初期です。
ということは、源平の争いは当に法然上人が過ごされた時代だといえます。
平家の者や源頼朝、義経、木曾義仲などは同時代の人です。

その源頼朝公の奥方は尼将軍とも言われた北条政子さま。
北条政子さまは臨済宗の信仰を持っておられたと言われます。
ですから鎌倉には鎌倉五山を初め、臨済宗のお寺がたくさんあります。
しかし御家人の中には念仏信者が多くいました。
だから統治者としてお念仏のことを知っておく必要があったと思われます。

このご法語はそんな北条政子さまが、念仏者を装って、もしくは本当に信仰があったのかはわかりませんが、法然上人に質問状を送られた、それに対する法然上人からの返事の一部分です。

北条政子さまから法然上人に宛てた手紙は現存していませんが、法然上人が北条政子さまに返した手紙の内容が伝えられていますので、そこから推測しますと、どうも「念仏信者は他の信仰の者とどのように接すればよろしいでしょうか?」と質問なさったようです。それに対する法然上人のお答えです。

「念仏の行を信ぜざらん人に会いて、御物語候わざれ」
「念仏の教えを信じない人に会ったら語ってはなりません」
もちろん話をするなということではなく、教えについて語ってはならないとおっしゃるのです。
説得して教えを信じさせよとはおっしゃらないのです。

「いかに況んや宗論候うべからず」
宗論とは自分の宗は釈尊の教えそのものであり、相手の宗は間違っていると論争することです。そういう論争はすべきでないとおっしゃるのです。

「強ちに異解異学の人を見て、これをあなずり誹ること候べからず」
「強引に違う理解、違う学問、つまり違う信仰の人をみて、あなどったり誹ったりしてはなりません」
こちらが念仏信仰を有り難いと受け取りますと、人に勧めたくなります。
違う信仰の人を見ると、何とも気の毒に思い、そんな教えよりも念仏の教えの方が有り難いよと言いたくなります。
しかし、それは違う信仰の人にとったら迷惑です。
勧める方はよかれと思って勧めます。
でも言われた方は反発し、たとえそこで言い負かされて納得したふりをしても、結局は腹を立てて念仏の悪口を言うということになりがちです。
そうなると、お釈迦様の正しい教えであるお念仏の教えを軽んじるという罪を犯すことになるわけです。
最初は相手のことを思い、よかれと思って勧めたはずが、相手に罪を起こさせることになってしまいます。
そのことが次に書かれています。

「いよいよ重き罪人になさんこと、不憫に候べし」
「ますます思い罪人にしてしまうことは気の毒ではないか」

ここまでは念仏の教えに背を向けている人に接するにはどうすればよいかということが説かれています。
逆にここからは念仏の教えに興味を持つ人にはどうすればよいかということを説いたものです。

「極楽を願い、念仏を申さん人をば、塵刹の外なりとも父母の慈悲に劣らず思し召すべきなり」
「極楽への往生を願い、念仏を申す人にはどれだけ遠くにいようとも、父母が我が子を可愛がるその慈悲におとらないほどの思いを持ってください」

「今生の財宝ともしからん人をば、力を加えさせ給うべし」
北条政子さんは権力も財力も持った人ですから、「念仏信者で貧しい人がいたならば、援助して差し上げなさいませよ」とおっしゃいます。

「もし少しも念仏に心をかけ候わん人をば、いよいよ御勧め候べし」
「もし少しでも念仏に心を向ける人がいたならば、益々お勧めなさいませ」
「これも弥陀如来の本願の宮使いと思し召し候べし」
「これも阿弥陀さまの本願の宮使いとお思いなさいませよ」

宮使いとは本来宮廷に仕えることを言いますが、ここでは阿弥陀さまの本願の宮使いと説かれます。
阿弥陀さまの本願とは、苦しみ悩みのこと娑婆世界から離れて、極楽浄土への往生を願う者に我が名を呼べば必ず極楽へ迎え取ってやるぞとお誓いくださっているものです。
ですから極楽往生を願う者がいたら、積極的に南無阿弥陀仏と称えることを勧めればいいのです。
極楽浄土へ往きたいのに違ったことをしている人がいると気の毒ですから、「阿弥陀さまは南無阿弥陀仏と称えれば救うと仰っていますよ」と勧めればよいのです。

しかし、このご法語の前半の方は極楽へ往生したいと思っていない人です。
極楽なんて往きたくないという人にいくら「南無阿弥陀仏と称えれば極楽へ往けるよ」と言っても何にも喜びません。
ですから、極楽へ往きたいと思う人には積極的にお念仏を勧め、極楽へ往きたくない人には勧めるべきではないと仰るのです。

元祖大師法然上人御法語第三十章

(本文)

法蓮房(ほうれんぼう)申さく、古来の先徳(せんとく)みなその遺跡(ゆいせき)あり。しかるに、今精舎(しょうじゃ)一宇(いちう)も建立(こんりゅう)なし。ご入滅(にゅうめつ)の後(のち)、いずくをもてかご遺跡(ゆいせき)とすべきやと。上人(しょうにん)答え給わく、あとを一廟(いちびょう)にしむれば遺法(ゆいほう)遍(あまね)からず。予(わ)が遺跡(ゆいせき)は諸州(しょしゅう)に遍満(へんまん)すべし。ゆえ如何(いかん)となれば、念仏の興行(こうぎょう)は愚老(ぐろう)一期(いちご)の勧化(かんげ)なり。されば念仏を修(しゅ)せんところは貴賤(きせん)を論ぜず、海人(かいにん)漁人(ぎょにん)が苫屋(とまや)までも、皆これ予(わ)が遺跡(ゆいせき)なるべしとぞ仰(おお)せられける。

 

(現代語訳)

法蓮房信空が〔法然上人に〕申すことには、「古来の徳ある先人は、どなたにもその遺跡があります。ところが、今のところ〔上人には〕寺院の一つも建立されておりません。ご入滅の後には、どこをご遺跡とすべきでしょうか」と。

上人がお答えになるには、「遺跡を一つの廟堂に限ってしまうと〔私の〕遺す教えは行き渡りません。私の遺跡は諸国に広く行き渡った方がよいのです。なぜかといえば、念仏の盛行は私の生涯をかけた教化活動だからであります。それゆえ、念仏の声するところは、貴賤を問わず、漁師たちの質素な家までも、すべて私の遺跡とすべきです」と。

(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)

 

(解説)

法然上人のお念仏のみ教えは、多くの方々に広がりました。
しかしそのことで旧来の仏教教団は危機感を持ち、また念仏者の中にも間違った教えを広める者が現れました。
法然上人はお弟子の不始末の責任をとるという形で、晩年には流罪、つまり島流しに遭われました。
法然上人は八十歳でご往生なさったのですが、流罪は七十五歳です。
今の七十五歳はお元気ですが、八百年前、平均寿命がもっと短いときです。
相当なご高齢でありました。

その老齢の身で四国は讃岐の国、今の香川県に流されます。
讃岐に向かう途中には兵庫県の高砂で漁師の夫妻にお念仏のみ教えを説かれました。
漁師の夫妻は「私たちは殺生を生業としています。そんな私たちは救われないのでしょうか?」と法然上人に尋ねます。
法然上人は「ただ往生を願って南無阿弥陀仏と称えよ。必ず救われるから」と諭されます。漁師の夫妻はよろこんで念仏に励んだといいます。

また室津では、遊女にお念仏のみ教えを説いておられます。
讃岐にはきっと多くの漁師やお百姓がいたことでしょう。
そういう人々にも「必ず南無阿弥陀仏と称える者は極楽へ救いとっていただけるのだよ」と説かれました。

讃岐におられたのはわずか9ヶ月ほどです。
そこから畿内に入ることは許されましたが、洛内に入ることは許されませんでした。
そこで、箕面の勝尾寺で四年間過ごされます。
勝尾寺は今でこそ車ですぐに行けますが、それでも奥深い山の中ということは分かります。ましてや八百年前のことですから、言わずもがなです。
遠く讃岐から勝尾寺に来られ、厳しい自然環境の中です。
老いたお体にはとても堪えたことでしょう。

ようやく帰洛が許されて京都に帰って来られました。
その土地が現在の知恩院の場所です。
もちろん今のような大きなものではなく、小さな庵でありました。

帰って来られたものの、長きにわたる過酷な生活がたたって、床につくことが多くなりました。
誰から見ても「そう長くはない」と見て取れる状況です。

法然上人には多くのお弟子がおられますが、その中でも特に年長の信空上人という方がおられました。
信空上人は、法然上人が比叡山で修行なさっているときから弟弟子でした。
法然上人が比叡山を下りて、浄土宗を開かれたときに一緒に山を下りて法然上人のお弟子になられたのです。
つまりは最も付き合いの長い、法然上人が最も信頼されているお弟子でありました。

信空上人は法然上人亡き後、間違いなく教団を引っ張っていかなくてはならない立場です。
そこで意を決して法然上人に問いを投げかけられました。
それがこのご法語です。

「法蓮房申さく、古来の先徳みなその遺跡あり」
「法蓮房信空上人がおっしゃいました。昔の偉いお坊さんにはみんな遺跡というものがあります。伝教大師には比叡山延暦寺という遺跡があります。弘法大師には高野山金剛峯寺という遺跡があります」

「しかるに今精舎一宇も建立なし。御入滅の後、いずくをもてか御遺跡とすべきやと」
「しかし今まで法然上人さまはお寺の一つも建ててらっしゃいません。上人が往生されて後、どこを遺跡とすればよろしいでしょうか?」

それに対して法然上人がお答えになりました。

「上人答え給わく、跡を一廟にしむれば遺法遍からず。わが遺跡は諸州に遍満すべし。故如何となれば、念仏の興行は愚老一期の勧化なり。されば念仏を修せんところは、貴賤を論ぜず、海人漁人が苫屋までも、みなこれわが遺跡なるべしとぞ仰せられける」
「跡を一カ所に決めてしまえば、教えが広まらないではないか。わたしの遺跡は全国各地に広まるべきだ。なぜならば、念仏のみ教えを広めることが私の一生涯かけての役割であった。だから、念仏の声するところは、貴賤を問わず、漁師の苫屋に至るまで、みな私の遺跡である、と仰った」

法然上人は晩年流罪に遭うまでは、殆ど京都におられました。
老若男女があとを絶たずにやって来ます。
ですから、流罪で地方に赴かれて、初めて田舎の人たちに教えを説かれたわけです。
そんな人たちに、「法然上人の遺跡は知恩院の地である」と言ってもとても来ることなどできません。
今の様な交通事情ではないのですから。
法然上人はきっと田舎の漁師やお百姓、遊女など、教えを説いた方々を思い浮かべられたことでしょう。
彼らは今、それぞれの場所でお念仏を称えている。
それこそが私の遺跡であるとお考えになったことと思います。

法然上人臨終の地、知恩院は今、浄土宗の総本山になっています。
また法然上人の足跡にあるお寺は二十五霊場と名付けられ、多くの信者がお参りに行きます。

それ自体は法然上人のご生涯に思いを馳せるために、必要なものでしょう。
しかし、そこでもしお念仏の声が一つも聞こえないというのであれば、それはご遺跡とは言い難いということになります。
お念仏の声が聞こえるところは、みなさんのお家であれ、法輪寺であれ、法然上人のご遺跡となるのです。

元祖大師法然上人御法語第二十九章

(本文)

まことしく念仏を行じてげにげにしき念仏者になりぬれば、よろずの人を見るに、皆我が心には劣りて浅ましく悪ければ、我が身の善きままに、我は由々(ゆゆ)しき念仏者にてあるものかな。誰々(たれたれ)にも勝れたりと思うなり。この心をばよくよく慎むべきことなり。

世も広く人も多ければ、山の奥、林の中に籠もり居て人にも知られぬ念仏者の貴くめでたきさすがに多くあるを、我が聞かず知らぬにてこそあれ。されば我ほどの念仏者よもあらじと思う僻事(ひがごと)なり。

この思いは大驕慢(だいきょうまん)にてあれば、即ち三心も隠るなり。

またそれを便りとして魔縁の来たりて往生を妨ぐるなり。これ我が身のいみじくて、罪業をも滅し極楽へも参ることならばこそあらめ。偏(ひとえ)に阿弥陀仏の願力(がんりき)にて煩悩(ぼんのう)をも除き、罪業(ぜいごう)をも消して、かたじけなく手ずから自ら極楽へ迎え取りて帰らせましますことなり。我が力にて往生することならばこそ、我賢しという慢心(まんしん)をば起こさめ。驕慢(きょうまん)の心だにも起こりぬれば、心行(しんぎょう)必ず誤る故に、立ち所に阿弥陀仏の願に背きぬるものにて、弥陀も諸仏も護念し給わず。さるままには悪鬼のためにも悩まさるるなり。返す返すも慎みて、驕慢(きょうまん)の心を起こすべからず。あなかしこ、あなかしこ。

 

 

(現代語訳)

まじめに念仏を行い、いかにもそれらしい念仏者になると、多くの人を見るにつけ、みな自分の心より劣り、あきれる程ひどいので、自分をよしとする思いにまかせて、「私はなんと立派な念仏者なのだろう。だれよりも上だ」と思うようになるのです。こうした心こそ、よくよく慎むべきなのです。

世間も広く、人も多いので、山の奥、林の中に隠れ住み、人にも知られていない念仏者で貴く素晴らしい方が、やはり多くいるのを、自分が聞かず、知らないだけのことなのです。

ですから「私ほどの念仏者はあるまい」と思うのは心得違いです。この思いは大変な思い上がりなので、つまりは三心も欠けることになるのです。またそれをよいことにして、悪魔が近づき、往生を妨げるのです。

この思い上がりも、自分が優れているために〔自力で〕罪業をも滅し、極楽にも往生できるというなら仕方ないかもしれませんが、ひとえに阿弥陀仏が、その本願の力によって〔念仏者の〕煩悩をも除き、罪業をも消して、もったいなくも自ら極楽へ迎え取って、お帰り下さるのです。

自分の力で往生するというならば、「私は勝れている」という慢心を起こしても仕方ないかもしれませんが、思い上がりの心が起こっただけで、心も行も必ず道を外れるので、たちまち阿弥陀仏の本願に背くことになり、阿弥陀仏も諸仏もお守り下さいません。そのままでは悪鬼にも悩まされるのです。

くれぐれも慎んで、思い上がりの心を起こしてはなりません。あなかしこ。あなかしこ。

 

 

(解説)

法然上人のご法語は、当然お念仏を勧めるものが多いのですが、今回のご法語は少し趣が違います。
お念仏を相当称えている人に対して「気をつけなくてはいけませんよ」と戒めておられるご法語です。
人間は絶えず人と比べて自分の位置を確認します。
初対面の人に対して、心の中では「私より年上かな」と思ったら敬語になり、「年下かな」と思えば少し偉そうになることもあるかもしれません。
誰を見ても誰と会っても絶えず自分より上か下かを考えて、自分の位置を定めるのです。普通の生活であれば、差し支えはないでしょう。
でもそれを仏の教えにまで持ち込むといけません。

お念仏を勧められて、最初は「ありがたいなあ」と思って称え出します。
そこからが問題です。
一所懸命称えている自分に気づいて、他人と比べるのです。
「あいつは俺より念仏が少ないなあ」と。
お念仏は阿弥陀さまと私の関係です。
他人と比べても仕方ありません。
救われがたい私を阿弥陀さまが救うと言って下さっているのに、人と比べて自分が偉くなっては何のことやらわからなくなります。
法然上人はそういう者を厳しく戒めておられます。

「まことしく念仏を行じて、げにげにしき念仏者になりぬれば、よろずの人を見るに、我が心には劣りて、浅ましく悪ければ我が身のよきままに我はゆゆしき念仏者にてあるものかな。誰々にも勝れたりと思うなり。この心をばよくよく慎むべきことなり」

「まじめにお念仏を称え、立派な念仏者になると、自分の他の多くの人をみて、みな自分の心より劣り、どうしようもなく悪くみえて、自分は良しとして、私は勝れた念仏者だなあ。他の誰よりも、あの人よりもこの人よりも勝れていると思う。こういう心こそよくよく慎むべきことですよ」

「世も広く人も多ければ、山の奥、林の中に籠もりいて、人にも知られぬ念仏者の、貴くめでたき、さすがに多くあるを、我が聞かず知らぬにてこそあれ」

「世間も広く人も多いので、山の奥林の中に籠もっていて、誰にも知られていない念仏者で貴くすばらしい方が多くいるのを自分が聞いたことがなく、知らないだけなのです」

「されば、我ほどの念仏者よもあらじと思う僻事なり」
「ですから、私ほどの念仏者はまさかいないと思うのはとんでもないことです」

「この思いは大驕慢にてあれば、即ち三心も欠くるなり」
「こういう思いはとんだ思い上がりなので、つまりは極楽へ往生するための心が欠けてしまいます」

お念仏は、ただ口に称えるだけではなく、本気で阿弥陀さまを信じて、本気で極楽往生を願って称えねばなりません。
それなのに「私は勝れた念仏者だなあ」などと思うのは、阿弥陀さまではなく自分を信じてしまっているわけです。
それではいけません。

「またそれを便りとして、魔縁の来たりて往生を妨ぐるなり」
「またそれをきっかけにして、悪い縁がやってきて、往生を妨げるのです」

魔縁について、最近大相撲などを見るにつけ思うところがあります。
相撲も一所懸命強くなりたいという一心で稽古をしている時には悪い縁はやって来ません。
しかし「俺はそこそこ強いなあ」と思って、他人と比べ出したら危ないです。
遊びを覚えてちょっと小遣い稼ぎをしようかと思い出すと危険です。
あっという間に魔縁がワッと集まってきます。
真面目にしていたときには寄りつかなかった悪い縁がドッとやってきます。

お念仏も同じです。
往生したいという一心でお念仏を称えていればよいものを、他人と比べ出したとたんに悪い縁が近づきます。
人の悪口を言う人が近づいてきたり、おべんちゃらを言う人が近づいてきて、結局はお念仏から離れてしまいます。
注意しなくてはなりません。

「これ我が身のいみじくて、罪業をも滅し、極楽へも参ることならばこそあらめ。ひとえに阿弥陀仏の願力にて煩悩をも除き、罪業をも消して、かたじけなく手ずから自ら極楽へ迎え取りて帰らせましますことなり」
「このような思い上がりも、自分の力で罪を消し、自分の力で極楽へ往くというのならば仕方のないことかもしれません。(しかしそうではなく)ひとえに阿弥陀さまの本願の力によって煩悩も除いていただき、罪も消していただき、もったいなくも自ら極楽へ迎え取ってお帰りになるのです」

「我が力にて往生することならばこそ、我賢しという慢心をば起こさめ。驕慢の心だにも起こりぬれば、心行必ず誤る故に、立ち所に阿弥陀仏の願に背きぬるものにて、弥陀も諸仏も護念し給わず」
「自分の力で往生するならば、私は勝れているという慢心を起こしても仕方がないのかも知れません。(しかしそうではないのだから)思い上がりの心が起こっただけで、極楽へ向かう心も行としてのお念仏も必ず道を外すことになるので、たちまち阿弥陀さまの本願に背くことになったら阿弥陀さまも他の仏さまも護りようがないでしょう」

「さるままには、悪鬼のためにも悩まさるるなり」
「そのままでは悪鬼に悩まされることになるでしょう」

「返す返すも慎みて、驕慢の心を起こすべからず。あなかしこ、あなかしこ」
「くれぐれも謹んで、思い上がりの心を起こしてはいけません。ああ恐れ多いことです」

そのそも「なむあみだぶつ」とは、「阿弥陀さま、お救い下さい、阿弥陀さま、助けてください!」という言葉です。
「助けてくれ!」という者が偉いはずがないですね。

阿弥陀さまは私たちが決して偉い者ではなく、救われがたい者であるから、わざわざお念仏をご用意くださったのです。
私たちが自分で苦しみから逃れることができるのであれば、お念仏なんて必要ないのです。自分で苦しみから逃れることなど到底できない我々であるから、阿弥陀さまは私たちに代わってご修行下さり、その修行の功徳をすべて南無阿弥陀仏の六文字に込めて下さったのです。

「私の名前なら称えることもできるであろう」とどんな力のない者でもできる行をご用意下さったのです。
それをお念仏の回数が多いだとか信心が深いなどと自惚れるなどというのはとんでもない誤りです。
この阿弥陀さまの力を他力といいます。
「私の力ではなく、阿弥陀仏の力でのみ救われる」というみ教えです。
この他力は、実は分かりやすいようで理解するのが難しい教えです。

大僧正と大学を出たての若い僧侶を比べたら、何となく大僧正のお念仏の方が貴いように思いませんか?
大僧正が称えても小僧が称えても救うのは阿弥陀仏ですから、違いなどあろうはずがありません。
確かに人徳も知識も人生経験も小僧と比べれば大僧正の方が勝れているのかも知れません。
しかし、ことお念仏に関しては人と比べて何にもなりません。
お念仏は阿弥陀さまと私一人の関係です。
この私が救われる唯一の教えであると受け止めて、決して自分に頼ることなく、阿弥陀さまの力、他力のみを信じてお念仏を称えるのです。

このご法語はお念仏をかなり称える人が陥りやすいところを法然上人がご注意下さっているわけですから、かなりレベルが高いのかも知れません。
ただ、わざわざこのようにおっしゃるということは、頻繁にこういう人がいたのでしょう。
私たちもよくよく注意せねばなりませんね。

元祖大師法然上人御法語第二十八章

(本文)

法爾(ほうに)の道理と云うことあり。炎は空に上り、水は下りさまに流る。菓子の中に酸きものあり、甘きものあり。これらはみな法爾(ほうに)の道理なり。

阿弥陀仏の本願は、名号をもて罪悪の衆生を導かんと誓い給いたれば、ただ一向に念仏だにも申せば、仏の来迎(らいこう)は法爾(ほうに)の道理にて疑いなし。

 

(現代語訳)

「動かしようのない自然の道理」ということがあります。炎は空に昇り、水は低い方に流れます。果物の中に酸いものもあれば、甘いものもあります。これらはみな「動かしようのない自然の道理」です。

阿弥陀仏の本願は「名号によって罪悪の衆生を救済しよう」と誓われたものですから、ただひたすら念仏さえ称えれば、阿弥陀仏のお迎えは「動かしようのない自然の道理」であって、疑いありません。(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)

 

 

(解説)

今回の御法語は、いつもに比べて文章量がかなり少ないですが、この中で法然上人はとてもはっきりと断言なさっている、気持ちの良い御法語でもあります。
早速見て参りましょう。

法爾と申しますのは、「真理のまま」という意味です。
法然上人の「法然」という名もこれと同義語です。
これに世間的な意味と、「出世間(しゅっせけん)」、つまり仏教的な意味の二つがあります。
この御法語の前半は世間的な意味です。

「法爾の道理ということあり。炎は空に上り、水は下りさまに流る」
「ものには変わらぬ真理というものがある。たとえば炎は空に上るでしょう。水は高いところから低いところに流れていくでしょう」ということです。
当たり前の道理ですね。

「菓子の中に酸きものあり甘きものあり。これらはみな法爾の道理なり」
この時代に菓子といえば、果物を指します。
後に果物を乾燥させたり砂糖を塗すなどして現代にいう菓子に発展しましたが、中世に菓子というと果物を指します。
今でも果物のことを「水菓子」というでしょう。
「果物の中には酸っぱいものもあるし、甘いものもある。これらはすべて自然の道理である」
これらが世間的な法爾の道理です。
誰も疑わない当然の道理です。

後半は出世間的な道理です。
「阿弥陀仏の本願は、名号をもて罪悪の衆生を導かんと誓い給いたれば、ただ一向に念仏だにも申せば、仏の来迎は法爾の道理にて疑いなし」

「阿弥陀仏の本願」というのは、どの御法語にも出て参ります。
それは「わが名を呼ぶ者を一人残らず救いとってやるぞ」という阿弥陀さまの誓いです。
「阿弥陀さまの本願は、南無阿弥陀佛という六字の名号でもって罪深い人々を導いてやろうと阿弥陀さまご自身がお誓いくださったものであるから、ただひたすらお念仏を称えておれば、その者の臨終の時に阿弥陀さまご自身がお迎えくださり、極楽へ往生させていただけることは当然の法として疑いのないことなのである」ということです。

現代人はとかく「極楽なんてあるわけない」「極楽や阿弥陀さまなんて想像上のものだ」と言います。
信じる力が非常に乏しいのです。

かなり前になりますが、島田紳助さんがテレビに出ておられた時におっしゃっていました。彼は京都の大谷高校という真宗の学校の出身です。
ですから教師も僧侶が多いのです。
その学校の宗教の時間に先生が極楽の話をなさったそうです。
当時悪かった紳助さんは先生に「極楽なんてほんまにあんのか!?」と茶化しました。
すると先生は「極楽なんてない。極楽も地獄も私達の心の中にある。心の状態がいい時はそれが極楽である。悪いときにはそれが地獄となる。紳助、今のお前の心には極楽はない」とおっしゃったというのです。
それを紳助さんが語ったとき、テレビの出演者はこぞって、「深い話だなあ。
」「いい話だなあ」と感心していました。

「心の中に極楽がある」そういう説き方もないことはありません。
自分の心を見つめた時に、自分の心の善し悪しを見るために極楽や地獄に喩えるという宗派もあります。
しかし、浄土宗で説く極楽はそういうものではありません。

極楽というのは本当に西の彼方に、この世とは別にあり究極の楽を得る世界です。
そこに実際に阿弥陀仏という仏さまがおられて、今現在極楽で説法しておられます。
南無阿弥陀佛と称える者をいつも阿弥陀さまや先に往生された大切な方々が見守ってくださっています。
そしてお念仏を称えてきた者の臨終の時には阿弥陀さまが多くの菩薩さま方を引き連れて、迷わないように、不安のないように自ら迎えにお越しくださいます。
極楽へ往生したら、先に往生した方々と手に手を取り合って再会を喜び合い、共に仏になるための修行を楽しく行じることができます。

こう言うと、「荒唐無稽なことだ」などと言う方がいるかも知れません。
しかし、「心の中に極楽はあるのだ」と思っていても、本当に苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき、ピンチの時には何の役にも立ちません。
「自分の心を極楽にするために、修行をして煩悩を滅する」という宗派の修行は、厳しく険しい道です。
そのように修行できる方はそうすればいいのです。

しかし大多数の人の日々の行いは、煩悩を滅するどころか、ほぼすべて「煩悩がリードしている行い」です。
そしてそのことに気づいても煩悩を滅することができない人々です。
老いに抗い、死に抗い、生に執着し、人間関係に悩み、愛する人を失って悲しみ、貪り、怒り、嫉妬し、自分だけが得するようにふるまってしまう私たちです。
そんな私たちが「心の中に極楽がある」と言われても、ほとんど気休めにしかならないでしょう。
本当に極楽があって、お念仏を称えていると苦しいときも悲しいときも阿弥陀さまが見守ってくださっていると感じる方がよほど力になります。
「念仏を称えていたら、必ず先立ったあの人にも会える」という教えがどれだけありがたいことでしょうか。

法然上人は「疑い」を一蹴なさいます。
「炎が空に上ることを疑う人がありますか?水が高いところから低いところへ流れることを疑う人がありますか?なのに念仏を称えれば極楽浄土へ往生できることをなぜ疑うのですか?念仏を称えれば往生できるというのは阿弥陀さまの本願ですよ。阿弥陀さまご自身が我が名を呼べよ、必ず救うから、とおっしゃっているのですよ。お釈迦さまもお経の中で阿弥陀さまを信じよとおっしゃっているのですよ。どこに疑う余地があるのですか?称えれば往生できるということは当たり前の道理ですよ」と。
尊くも力強いお言葉に励まされます。