後篇第六章 念仏付属
(本文)
釈迦如来(にょらい)、この経(きょう)の中(うち)に、定散(じょうさん)の諸々(もろもろ)の行(ぎょう)を説き終わりて後に、正しく阿難(あなん)に付属(ふぞく)し給(たも)う時には、上(かみ)に説くところの散善(さんぜん)の三福(さんぷく)業(ごう)、定善(じょうぜん)の十三観をば付属せずして、ただ念仏の一行(いちぎょう)を付属し給えり。経(きょう)に曰(いわ)く、仏(ほとけ)阿難(あなん)に告げ給わく、汝(なんじ)よくこの語を持(たも)て、この語を持(たも)てとは即ちこれ無量寿仏の名(みな)を持(たも)てとなり。善導和尚(ぜんどうかしょう)この文(もん)を釈して曰(のたまわ)く、仏(ほとけ)阿難に告げ給わく、汝よくこの語を持てより已下(いげ)は、正しく弥陀の名号を付属して遐代(かだい)に流通(るづう)し給うことを明かす。上来(じょうらい)定散(じょうさん)両門の益(やく)を説くといえども、仏の本願に望むれば、意(こころ)衆生(しゅじょう)をして、一向(いっこう)に専(もっぱ)ら弥陀仏(みだぶつ)の名を称(しょう)せしむるにあり。この定散の諸々の行は弥陀の本願にあらざるがゆえに、釈迦如来の往生の行を付属し給うに、の定善散善をば付属せずして、念仏はこれ弥陀の本願なるがゆえに、正しく選びて本願の行を付属し給えるなり。今、釈迦の教えに随(したが)いて往生を求むるもの、属の念仏を修(しゅ)して、釈迦の御心に叶(かの)うべし。これにつけても又よくよくお念仏候(そうろう)て、仏の付属に叶わせ給うべし。
(現代語訳)
釈尊は、『観無量寿経』の中で〔極楽往生のための修行として、精神を統一して行う〕定善と〔通常の心のままで行う〕散善との、様々な行を説き終わった後、まさしく弟子阿難に教えを託される段になると、それまでに述べられた、散善の功徳ある三種の行いや、定善の十三種の観想を託されずに、ただ念仏の一行のみを託されました。
『観無量寿経』には「釈尊は阿難に告げられた。〈汝はこの語をよく保て。この語を保てとは、無量寿仏の名号を保てということである〉」とあります。
善導和尚はこの経文を解釈して「〈釈尊は阿難に告げられた。汝はこの語をよく保て〉以下の語は、まさしく〔釈尊が〕阿弥陀仏の名号を〔阿難に〕託し、それを遙か後の世にまで広く伝えようとされていることを表している。この、名号を託する段に至るまで、定善・散善の二種の修行の利益を説いてこられたが、阿弥陀仏の本願に照らせば、釈尊の意図は、人々にひたすら阿弥陀仏の名号を称えさせることにある」と述べておられます。
この定善・散善の様々な行は、阿弥陀仏の本願ではないから、釈尊が往生の行を託される際には、念仏以外の定善・散善を託されず、念仏は阿弥陀仏の本願であるから、まさしく選んで、本願の行である念仏を託されたのです。
今、釈尊の教えに従って往生を求める人は、釈尊が阿難に託された念仏を修めて、釈尊のご意志に従うのがよいでしょう。このことからしてもまた、よくよくお念仏をなさり、釈尊が〔念仏を〕託された御心に添うようになさって下さい。(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)
(解説)
お釈迦さまはたくさんのお経を説かれました。
その数は五千巻余りといいます。
それらは、お釈迦さまが色んな立場や能力の方に合わせて説かれたものです。
たくさんあるお経の中に、念仏について説かれたものがいくつかあります。
その中で特に法然上人が、「この三つ」と定めてくださったお経があります。
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経という三つのお経で、これを浄土三部経といいます。
これらのお経の中には阿弥陀さまが登場します。
お経はお釈迦さまがお弟子や信者に向かって説かれた教えを、「お釈迦さまがこのようにおっしゃいました」というように遺されたものです。
浄土三部経では、お釈迦さまが「阿弥陀仏という仏さまがおられてね」と阿弥陀さまや極楽浄土のことを説いてくださっています。
私たちは直接阿弥陀さまが説かれた教えを知ることはできません。
お経を通して、即ちお釈迦さまを通してこそ阿弥陀さまを知ることができるのです。
さて、無量寿経というお経について申し上げます。
無量寿経は非常に長いお経です。
ですから色んなことが書かれているのですが、中でも大切なのは、「念仏の根拠」が説かれていることです。
阿弥陀さまが「我が名を呼ぶ者を救うぞ。南無阿弥陀仏と称える者を私が作った幸せの国、極楽浄土へ迎え取ってやるぞ」とお約束くださっています。
そのお約束を「本願」といいます。
阿弥陀さまは数ある修行方法の中で、「極楽浄土へ往生するためにはこれだ」と念仏を選んでくださいました。
その念仏の根拠である本願が説かれているのが無量寿経です。
観無量寿経は「無量寿仏」を「観る」お経です。
無量寿仏とは阿弥陀仏のことです。
つまり阿弥陀さまや阿弥陀さまがおられる極楽を観るためのお経なのです。
我々苦しみの多いこの世で過ごす者が、阿弥陀さまと生きながらにしてお会いできたり、極楽を観ることができたら、こんなにホッとすることはありません。
それは瞑想によって実現するといいます。
その瞑想の方法を順を追って説かれているのが観無量寿経です。
この瞑想を「心が定まった善」という意味で定善(じょうぜん)といいます。
観無量寿経では定善を十三種類説かれたのちに、「心が散り乱れた者でもできる善」という意味の散善(さんぜん)を説きます。
散善には三種類説かれています。
しかしながら、定善はもちろん、散善も大変難しい修行です。
昔の修行者は、今と比べてとてつもなく高いレベルの能力を持っておられました。
ですから定善や散善というような難しい修行も可能でした。
ところが今の我々は能力が低いので、定善や散善はとてもとてもできそうもありません。
お釈迦さまは後の時代の者は能力が衰えることをご存じでしたから、定善や散善のみ教えを後に残してもついていけないことをすでに分かっておられたのです。
ですから観無量寿経の中で定善と散善に殆どを費やしているにも関わらず、最後の最後で「後の者には念仏を残せよ」とお弟子の阿難尊者に説かれます。
観無量寿経は俗に「大逆転のお経」とも言われます。
難しい定善と散善を延々説いてきたのに、最後に「南無阿弥陀仏を残せ」とおっしゃるのですから。
お釈迦さまは「定善や散善を残しても後の者は実行することはできまい。」とお考えくださったのです。
そしてお念仏を説き、託されたわけです。
これを「付属(ふぞく)」といいます。
以上を踏まえて本文を読んで参ります。
「釈迦如来、この経の中に、定散のもろもろの行を説き終わりて後に、正しく阿難に付属し給う時には、上に説くところの散善の三福業、定善の十三観をば付属せずして、ただ念仏の一行を付属し給えり」
「この経」とは「観無量寿経」のことです。
「お釈迦さまはこの観無量寿経の中で定善、散善のさまざまな行を説き終わった後に、正しくお弟子の阿難尊者に教えを託そうという時には、今まで説いてきた散善の三福や定善の十三観を託さずに、ただ念仏の一行のみを託されました。
「経に曰く、仏阿難に告げ給わく、汝よくこの語を持て、この語を持てとは、即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり」
「観無量寿経の最後のところに、お釈迦様は阿難尊者におっしゃいました。汝よ、この言葉をしっかりと伝えていけよ。この言葉とは無量寿仏、即ち阿弥陀仏の名前であるぞ」
「善導和尚、この文を釈して宣わく、仏阿難に告げ給わく、汝よくこの語を持てより已下は、正しく弥陀の名号を付属して、遐代に流通し給うことを明かす。上来定散両門の益を説くといえども、仏の本願に望むれば、意衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり」
「善導大師はこのお経の文を解釈して、仏阿難に告げ給わく、汝よくこの語を持て、以下は、正しくお釈迦様が阿弥陀様の名前を阿難尊者に託して、後の世にまで広めようとなさっていることを明らかにしている。ここまで定善と散善の功徳を説いてこられたが、阿弥陀さまの本願を鑑みれば、お釈迦さまの意図は、人々にひたすら念仏を称えさせようというところにある」
「この定散のもろもろの行は、弥陀の本願にあらざるが故に、釈迦如来の往生の行を付属し給うに、余の定善、散善をば付属せずして、念仏はこれ弥陀の本願なるが故に、正しく選びて本願の行を付属し給えるなり」
「この定散のさまざまな行は、阿弥陀様の本願ではないので、お釈迦様が極楽往生のための行を託されるときには、念仏以外の定善や散善を託さずに、念仏は阿弥陀様の本願であるから、正しく選んで本願の行を託されたのである」
「今、釈迦の教えに随いて往生を求むる者、付属の念仏を修して釈迦の御心に適うべし」
「今お釈迦様の教えに随って極楽へ往生したいと願う者は、お釈迦様が阿難尊者に託された念仏を実践して、お釈迦様の御心に叶うべきでしょう。」
「これにつけても又よくよくお念仏候うて、仏の付属に適わせ給うべし」
「このことからしても、またしっかりとお念仏を称えてお釈迦様が託された御心に添うようになさいませ」
阿弥陀さまは数ある修行方法の中から、「どれも後の世の者には難しいであろう。しかし私の名前なら呼べるであろう。私の名前に私が修行したすべての功徳を収め込もう。だから我が名を称えよ」と念仏を選ばれました。
座禅する者を極楽に迎え取るともおっしゃらず、滝に打たれたものを救うともおっしゃらず、念仏称える者を救うとおっしゃったのです。阿弥陀さまが「これだ」と選らんでくださった行がお念仏です。
また、お釈迦さまも後の世の者には念仏しかない、と選んで阿難尊者に託されました。
法然上人は、お釈迦様が後の世の者の為に念仏の行を選ばれたのは、阿弥陀様の本願だからであると説かれています。
阿弥陀さまが選ばれ、お釈迦さまが選ばれた行なのです。
よく「念仏は法然上人が選ばれた行である」という人がいますが、実はそうではありません。
阿弥陀さまが、お釈迦さまが、さらには「阿弥陀経」では諸仏も念仏を勧めておられます。お念仏、すべての仏さまがあらゆる修行方法の中から、私たちのために先に選んでくださり、「極楽へ往生したいならばこれをせよ」とお示しくださったものなのです。
後篇第五章 無上功徳
(本文)
善根(ぜんごん)なければ、この念仏を修(しゅ)して無上の功徳を得んとす。余(よ)の善根(ぜんごん)多くば、喩(たと)え念仏せずとも頼む方(かた)もあるべし。しかれば善導(ぜんどう)は、我が身をば善根(ぜんごん)薄少(はくしょう)なりと信じて、本願を頼み、念仏せよと勧め給えり。経(きょう)に一(ひと)たび名号(みょうごう)を称(とな)うるに、大利(だいり)を得(う)とす。又すなわち無上の功徳を得(う)と説けり。いかに況(いわん)や念々相続せんをや。しかれば善根(ぜんごん)なければとて、念仏往生を疑(うたご)うべからず。
(現代語訳)
善い行いを積んでいないので、念仏を修めて、この上ない功徳を得ようとするのです。念仏以外の善い行いを多く積んでいるなら、たとえ念仏を称えなくても頼る手立てもあるでしょう。
ですから善導大師は「自分は善い行いをごくわずかしか積んでいないと信じて、本願を頼みとし、念仏しなさい」とお勧めになりました。『無量寿経』に「一たび名号を称えると、大利益を得る。つまり、この上ない功徳を手に入れる」と説かれています。まして念仏を絶えず続けるならばなおさらです。ですから、善い行いを積んでいないからといって、念仏による往生を疑ってはなりません。(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)
(解説)
昔中国に白居易(はくきょい)という詩人がいました。白楽天(はくらくてん)とも呼ばれています。
当時中国には、儒教、道教などの宗教があって、白居易はそれらは知っているけれど、仏教のことは余り知らない。
そうだ、有名な道林禅師という方に尋ねてみよう、と思いつかれました。
道林禅師も少し変わった方で、木の上で修行しておられたといいます。
白居易は、木の上の道林禅師に対して、「道林禅師でいらっしゃいますか?私は白居易と申します。私に仏教の教えを説いていただきたいと思いまして、こうして伺いました。お示しください」と言いました。
道林禅師は、「そうか。では説こう。悪いことはするな。善いことをせよ。そして我が心を清くするのだ。それが仏教であるぞ」と説かれました。
すると木の下の白居易は笑います。
「なんだ、仏教っていうのはそんな程度の教えなのか。悪いことをするな、善いことをせよか。そんなことは三つの子でも知っていることではないか」と馬鹿にします。
それを聞いた道林禅師も笑います。「その通り。三歳の子どもでも知っていることであるぞ。悪いことをするな、善いことをせよとは、三歳の子でも知っているけれども、人生経験を積んだ八十のおじいさんでも実行はできないではないか。誰もが知っていることでありながら、誰もできていないのだよ。だからそのために修行をしなくちゃいけないんだ」とおっしゃったのです。
災害が起こった時、どれだけ「気の毒に」と同情しようとも私たちのする義援金は、自分の生活がある上でのことです。
普段とさして変わらない贅沢をし、その上でそう生活に影響を及ぼさない程度の義援金しかできないのではないでしょうか。
家も家財道具も財産もすべて失った方に、自分の生活レベルを下げてまでは中々できません。
所詮自分中心の私たちです。
ですから善いことをしようにも大した善いこともできないのが現実の私の姿です。
善いことをせよという仏教の教えであるけれども、私たちがする程度の善いことでは話にならないのです。
ただ、お念仏の教えだけは違います。
阿弥陀さまは私たちが善いことの一つもできないことは重々承知なさっています。
だからこそ阿弥陀さまご自身のお名前に功徳すべてを収め込んでくださって、「我が名を呼べよ、それだけでよいぞ、我が名を呼べば私が救うぞ」と願ってくださっているのです。
善いことだけができるのであれば、お念仏も必要ありません。
お念仏がなければ救われようがないからこそ、阿弥陀さまはお念仏をご用意くださったのです。
さて本文に入ります。
「善根なければ此の念仏を修して無上の功徳を得んとす」
「善いことをしてこなかったのであるから、念仏を称えてこの上ない功徳を得ようとするのです」
「余の善根多くば、たとい念仏せずとも、頼む方もあるべし」
「念仏以外の善い行いをもし多く積んでいるのであれば、念仏しなくとも頼る手もあるでしょう。でもそうではないでしょう?」
「然れば善導は、我が身をば善根薄少なりと信じて本願を頼み、念仏せよ、と勧め給えり。」
だから善導大師は「自分は善い行いを殆ど積んでいないのだと信じて、本願を頼りにして念仏しなさい、と勧めてくださっています」
「経に一度名号を称うるに、大利を得とす。またすなわち無上の功徳を得と説けり」
「無量寿経に一度念仏を称えれば、大きな利益を得ることができる。つまり、この上のない功徳を手に入れる、と説かれています」
「いかに況んや念々相続せんをや」
「ましてや念仏を絶えず続けるならば尚更のことです」
「然れば善根なければとて、念仏往生を疑うべからず」
「ですから、善い行いを積んでいないからといって、私などは念仏を称えても救われない、などと救いを疑ってはなりません」
まずは自分が善い行いなどできないのだ、ということを明らかに自覚せねばなりません。そうでないと、自分の力を頼ってしまい、阿弥陀さまの救いを頼もうとしないでしょう。
阿弥陀さまの救いがなければ救われないのに阿弥陀さまにすがらなければ救われようがありません。
まずは自分の立場、置かれている位置をしっかり確認して、「阿弥陀さまの力でないと到底救われない私」が阿弥陀さまの力で救われていくことを信じるのです。
ただ、自分の力のなさを知るが余りに、勝手に卑下して、「いくら阿弥陀さまでもよもやわたしは救われまい」などと思う人がおられるかもしれません。
しかしそうではありません。
私に力はなくとも、阿弥陀さまに無量のお力があるのです。
何ともかたじけなくもありがたいみ教えなのです。
後篇第四章 特留此経
(本文)
双巻経(そうかんぎょう)の奥に、三宝(さんぼう)滅尽(めつじん)の後(のち)の衆生(しゅじょう)、乃至(ないし)一念に往生すと説かれたり。善導(ぜんどう)釈して曰(いわ)く、万年に三宝滅して此の経住(とど)まること百年、その時聞きて一念すれば、皆まさに彼処(かしこ)に生(しょう)ずることを得(う)べしと言えり。此の二つの意(こころ)を持て、弥陀の本願の広く接し、遠く及ぶほどをば知るべきなり。重きをあげて軽(かろ)きを収め、悪人をあげて善人を収め、遠きをあげて近きを収め、後をあげて前(さき)を収むるなるべし。誠に大悲誓願の深広(じんこう)なること、容易(たやす)く言葉をもて述ぶべからず。心を留めて思うべき也。抑(そもそ)もこの頃、末法(まっぽう)に入(い)れりといえども、未だ百年に満たず、我ら罪業(ざいごう)重しといえども、未だ五逆をつくらず。しかれば、遙かに百年法滅の後を救い給えり。いわんやこの頃をや。広く五逆(ごぎゃく)極重(ごくじゅう)の罪を捨て給わず。いわんや十悪の我らをや。ただ三心(さんじん)を具(ぐ)して、もはら名号を称(しょう)すべし。
(現代語訳)
『無量寿経』の末尾に、「三宝が滅びた後の人々も、わずか一度の念仏で往生する」と説かれています。善導大師はこれを解釈して、「末法一万年の後、仏・法・僧の三宝が滅びても、この経だけは百年間、世に留まる。その時に阿弥陀仏の名号を聞き知り、一声でも念仏すれば、だれでもかの極楽浄土に往生することができる」と述べています。
これら二つの文意から、阿弥陀仏の本願が、いかに幅広い人々を包みこみ、いかに遠い未来にまで及ぶかを理解すべきです。
これは罪の重い者を挙げて軽い者を含め、悪人を挙げて善人を含め、遠い未来の者を挙げて近い将来の者を含め、末法一万年以降の者を挙げてそれ以前の者を含めているのでしょう。
まことに〔阿弥陀仏の〕大いなる憐れみにもとづく誓願が、いかに深く広く行き届いているかは、たやすく言葉に表すことなどできません。心を傾けて推し量るべきです。
そもそも、今は末法の時代に入ったとはいえ、まだ百年も経っていません。私たちの犯した悪業は重いとはいえ、五逆罪までは造っていません。それゆえ、遠く三宝が滅んだ後の百年間の者をもお救いになるのです。まして今の時代の私たちをお救いにならないはずはありません。幅広く五逆というこの上なく重い罪を犯した者までお見捨てにならないのです。まして十悪を犯した程度の私たちを、お見捨てになるはずはありません。
ただ、三心を〔欠くことなく〕具えて、ひたすら〔阿弥陀仏の〕名号を称えるべきです。
(解説)
お釈迦さまが入滅されてから500年ほどはお釈迦さま在世当時と同様人々の宗教的な能力が高いので、覚る人が大勢いたといいます。それが正法の時代です。
その後1000年ほどは少し宗教的能力が落ちてくるので、覚る人が減ってくるわけです。それが像法の時代です。
その後の一万年が末法の時代です。能力が低いために修行する力もなく、当然覚る人などほぼいなくなるという時代です。法然上人の時代はすでに末法の時代に入っています。現代もまだ末法の時代が続いています。今は末法に入って1000年弱しか経っていません。
末法の時代が1万年続いた後のことなど、その頃には私たちは生きていませんから、関係ないと言えばそうなのですが、お釈迦さまはその後のことまでお説き下さっています。末法が1万年続いた後には何と仏教は滅びるといいます。これを法滅といいます。
ところで仏教が成り立つのに必要な三つの宝を三宝といいます。仏・法・僧の三つです。仏はほとけさま、法は仏が説かれた教え、僧は教えを信じる者です。仏さまがおられても、教えがなくては成り立ちません。教えがあっても信じる者がなければあってもないのと同然です。仏教の教えは真理ですからずっと変わらないのですが、末法が1万年過ぎた後には、教えを伝える者がいなくなりますから、当然教えを信じる者がいなくなります。そういう法滅の時代を三宝が滅びた時代ということで、三宝滅尽の時代といいます。
三宝滅尽の時代には、あらゆるお経が失われます。ただ一つ、無量寿経というお経だけが、三宝滅尽の後も100年間残るといいます。無量寿経は上下二巻ありますので、別名双巻経ともいいます。では本文を見ていきましょう。
「双巻経の奥に三宝滅尽の後の衆生、乃至一念に往生す、と説かれたり」
「無量寿経の末尾に、三宝が滅びた後の人々も、無量寿経を読んで念仏を称えれば往生できると説かれている」
「善導釈して曰く、万年に三宝滅して、此の経住まること百年、その時聞きて一念すれば、皆まさに彼こに生ずることを得べし、といえり」
「善導大師がおっしゃるには、末法が1万年過ぎて三宝が滅びた後もこの無量寿経だけは百年間この世に留まる。その時念仏のことを聞いて、念仏を称えれば極楽浄土へ往生できるということである」
「この二つの意をもて、弥陀の本願の広く摂し、遠く及ぶ程をば知るべきなり」
「無量寿経に説かれていること、善導大師がおっしゃっていることの二つの心によって、阿弥陀さまの本願がいかに広くを包み込み、遠く未来まで及ぶのかを知ることができる」
「重きを挙げて軽きを摂め、悪人を挙げて善人を摂め、遠きを挙げて近きを摂め、後を挙げて前を摂むるなるべし」
「罪が重い者を救うと説いて下さって罪が軽い者も含んで下さり、悪人を挙げ善人も含めて下さり、遠く未来の者を挙げて近い者も含めて下さり、末法1万年後の三宝滅尽の時代の者を挙げてそれより手前の者を含めてくださる」
「誠に大悲誓願の深広なること、たやすく言をもて述ぶべからず。心を留めて思うべきなり」
「誠に阿弥陀さまの大きな慈悲による本願がいかに深く広いかは言葉では言い尽くすことなどできない。心を寄せて仏の有り難さを思うべきである」
「そもそもこの頃、末法の入れりといえども、未だ百年に満たず。我ら罪業重しといえども未だ五逆をつくらず」
「そもそも今の時代は末法に入ったといってもまだ百年も経っていない」
末法に入ったのが日本では平安時代、西暦1052年と計算されます。法然上人がお生まれになった、西暦1133年にはまだ末法に入って百年足らずであったということです。
「私たちは罪深いといっても、まだ生まれてこのかた五逆はつくっていない」
五逆とは、父親を殺す、母親を殺す、覚りを開いた者を殺す、仏さまに血を流すような傷をつける、仏教教団を破壊するという五つです。
「然れば遙かに百年法滅の後を救い給えり。況んやこの頃をや」
「そう考えてみると、法滅の後百年経った者まで救って下さるのだから、今の時代の者が救われないはずがありません」
「広く五逆極重の罪を捨て給わず。況んや十悪の我らをや」
「広く五逆という最悪の罪の者さえもお捨てにならないのであるから、十悪の我々をお捨てになることがあろうか、いやそんなことはない」
十悪というのは、五逆の次に重い罪なのですが、実は私たちは毎日その重い罪を犯しています。
まず殺生です。私たちは毎日生き物を殺して生きています。
次に盗みです。別に万引きしたり空き巣に入るわけではありませんが、人の物を羨んだり欲しがったりすることも含みます。といいますのは、私たちは人の目を気にして生きていますが、人の物を羨む心があると、全く誰も見ていない、咎めない状況ができた場合には盗みかねない心なのです。
次は不倫です。他人の妻や夫と邪な関係になると、いらぬ争いの元になります。時には骨肉の争いにまで発展させる大きな原因になります。
それから嘘をつく、二枚舌を使う、悪口を言う、おべんちゃらを言う。
そして必要以上に欲をかく、腹をたてる、自分ばかりを生かそう生かそうとするという十の行いを十悪といいます。
これが地獄・餓鬼・畜生行きの行いなのです。私たちが日常的に行う、毎日していることが地獄・餓鬼・畜生行きの行いだというのです。厳しいと思いませんか?そんなことを言われたら生きていけないじゃないかと思いませんか?そうです。末法の私たちは十悪の行いをしないと生きていけないのです。お釈迦さまの時代の優れた修行者には避けることができた行いが、今はしないと生きていけないのです。
だから念仏が必要なのです。念仏がなければまともに修行することすらできない私たちです。十悪の者も五逆の者も救われる教えです。末法の者でも法滅後の者でも救われる教えです。
まるでドブさらいするかの如く、どんなに悪い者でもどんなにひどい時代の者でも救ってくださるのです。つまり、「私なんて救われない」という人は一人もいないということです。すべてを救いの範疇におさめてくださっています。
阿弥陀さま側からは100%救う用意がなされています。あとはこちらが救いを信じてお念仏を称えるかどうかだけです。ただこちらが気づいて向き合うだけなのです。
後篇第三章 機教相応
(本文)
上人(しょうにん)播磨(はりま)の信寂房(しんじゃくぼう)に仰(おお)せられけるは、「ここに宣旨(せんじ)の二つ侍(はべ)るを取り違(たが)えて、鎮西(ちんぜい)の宣旨(せんじ)を坂東(ばんどう)へ下(くだ)し、坂東(ばんどう)の宣旨(せんじ)をば鎮西(ちんぜい)へ下(くだ)したらんには、人(ひと)用いてんや。」と宣(のたも)うに、信寂房(しんじゃくぼう)しばらく案じて、「宣旨(せんじ)にても候(そうら)え、取り替えたらんをば、いかが用い侍(はべ)るべき。」と申しければ、「御房(ごぼう)は道理を知れる人かな。やがてさぞ、帝王の宣旨(せんじ)とは釈迦の遺教(ゆいきょう)なり。宣旨(せんじ)二つありというは、正像末(しょうぞうまつ)の三時(さんじ)の教えなり。聖道門(しょうどうもん)の修行は、正像(しょうぞう)の時の教えなるがゆえに、上根(じょうこん)上智(じょうち)の輩(ともがら)にあらざれば、証(しょう)し難(がた)し。例えば西国(さいごく)の宣旨(せんじ)のごとし。浄土門の修行は、末法(まっぽう)濁乱(じょくらん)の時の教えなるがゆえに、下根(げこん)下智(げち)の輩(ともがら)を器(うつわもの)とす。これ奥州(おうしゅう)の宣旨(せんじ)のごとし。しかれば、三時(さんじ)相応の宣旨(せんじ)、これを取り違(たご)うまじきなり。大原にして聖道(しょうどう)浄土の論談ありしに、法門は互角の論なりしかども、機根(きこん)比べには源空勝ちたりき。聖道門(しょうどうもん)は深しといえども、時過ぎぬれば、今の機に適(かな)わず。浄土門は浅きに似たれども、当根(とうこん)に適(かな)い易しといいし時、末法万年・余経悉滅(よきょうしつめつ)・弥陀一教(みだいっきょう)利物偏増(りもつへんぞう)の道理に折れて、人皆信伏(しんぷく)しき。」とぞ仰(おお)せられける。
(現代語訳)
〔法然〕上人が播磨国の信寂房に、「ここに〔天皇の〕宣旨が二つあるのを、取り違えて、九州への宣旨を関東へ送り、関東への宣旨を九州へ送ったとすれば、人はそれに従うでしょうか」とおっしゃったところ、信寂房はしばらく思案して、「いくら宣旨とは申しましても、取り違えたものにどうして従うことができましょうか」と申し上げると、〔上人は、〕「あなたは何とものの道理の解った方でしょうか。全くその通りです。天皇の宣旨とは、釈尊の遺された教えのことです。宣旨が二つあるというのは、正法・像法と末法という三つの時代に適した教えのことです。
聖道門の修行は、正法・像法の時代に適した教えですから、能力の勝れた人たちでなければ覚ることが難しいのです。たとえば九州への宣旨のようなものです。〔一方、〕浄土門の修行は、濁り乱れた末法のっじだいに適した教えですから、能力の劣ったわれわれが、それにふさわしい器なのです。これは関東への宣旨のようなものです。ですから、三つの時代のそれぞれに相応しい宣旨を、取り違えてはならないのです。
大原で聖道門と浄土門の論議があった折り、教えについては両者互角の議論でしたが、その教えを受ける人の能力については私の議論の方が勝りました。〈聖道門の教えは深いけれども、時期が過ぎてしまったので、今の人々の能力には合わないのです。〔一方、〕浄土門の教えは浅いように見えますが、今の人々の能力に合い易いのです〉と述べたとき、《末法一万年の後、他の経典はことごとく滅びるが、阿弥陀仏の名号を称える教えだけが残って盛んに人々に利益を与える》という道理に折れて、どの人もみな承伏されました」とおっしゃったそうです。
(解説)
お釈迦さまは今から約2500年前にインドで仏教の教えをお説きくださいました。2500年前と現代を比較しますと、科学の進歩は著しく、比較にならないほど現代の方が発達しています。しかし、科学の進歩と反比例するかの如く、宗教的な能力は衰えています。2500年前の人々は宗教的能力は相当に高く、現代は著しく低いといえます。一つ便利になれば人の能力は一つ不必要になります。ですから、科学が発展すればするほど宗教的能力は衰えると考えられます。
そのようにお釈迦さまの時代は能力の高い人が多かったのですが、何よりもお釈迦さまという最高の先生がおられるのです。お釈迦さまはまるでお医者さまが患者の病状に合わせて薬を処方するかのように、一人一人に合わせて教えを説かれました。お釈迦さまは一人一人の性格や能力を見て、それぞれに修行方法をお示し下さり、能力の高い当時の人々は多く覚ることができたといいます。ですから、仏教徒にとりまして、お釈迦さまがおられた時代というのは最高の時代だったといえるでしょう。
お釈迦さまは当時から、後の人々の宗教的能力が衰えることは予測しておられました。お釈迦さまが亡き後(入滅、あるいは涅槃といいます)、500年ほどは、お釈迦さま在世の時と同様に教えはしっかりと伝わり、人々は正しく修行し、多くの人が覚りました。これを正法の時代といいます。しかしそれ以降徐々に人々の能力が衰えていきます。500年以降の1000年間は、法は正しく伝わり、修行する人も多くいますが、覚る人が減っていきます。この時代を像法の時代といいます。像法の像とは、「似る」という意味があります。仏像は仏さまに「似せて」造られたものですね。つまり像法の時代とは、正法の時代に「似た」時代であるが、正法の時代よりも衰えた時代なのです。像法の時代が1000年続いた後に末法の時代がやってきます。末法の時代には、法は正しく伝わっているのですが、人々の能力が衰えて修行することができなくなり、もちろん覚る人などほぼいなくなってしまうといいます。その末法は一万年続くと言われています。
先に申し上げたように、お釈迦さまはそれぞれの人の能力に合わせて教えを説かれました。何とお釈迦さまは、末法の時代の私たちをも見据えて下さり、教えを説いて下さっているのです。それがお念仏です。お念仏は末法の時代の人々をターゲットにした教えなのです。以上を踏まえて本文を読んで参りましょう。
法然上人がお弟子の「播磨の信寂房」という方と会話をなさっています。
「上人、播磨の信寂房に仰せられけるは、ここに宣旨の二つ侍るを取り違えて、鎮西の宣旨を坂東へ下し、坂東の宣旨を鎮西へ下したらんには、人用いてんやと宣うに、」
宣旨とは、天皇からのお達しが書かれた公文書のことをいいます。鎮西とは九州のことです。坂東とは関東のことです。当時から九州は先進国で、今と異なり坂東は当時は田舎です。「天皇からの宣旨が先進国である九州へ送るものと、田舎の関東へ送るものと入れ替わってしまったら、人々はそれに従いますか?と法然上人は播磨の信寂房さまに質問なさいます」
「信寂房しばらく案じて、宣旨にても候え、取り替えたらんをば、いかが用い侍るべき、と申しければ」
「信寂房さまは少し考えて、いくら天皇の宣旨であっても、行き先が変わってしまったら従うことはできません、とお答えになった」というのです。
「御房は道理を知れる人かな。やがてさぞ、帝王の宣旨とは、釈迦の遺教なり。宣旨二つありというは、正・像・末の三時の教えなり」
「信寂房、あなたは道理のわかった人ですね。全くその通りです。天皇の宣旨というのは、お釈迦さまが説かれた教えを譬えていったものです。宣旨が二つあるというのは、正法、像法、末法というそれぞれの時代にはそれぞれの時代に合った教えがあるということです」
「聖道門の修行は、正・像の時の教えなるが故に、上根上智の輩にあらざれば証し難し。譬えば西国の宣旨の如し」
「聖道門の修行は、正法の時代や像法の時代に適した教えであるから、能力の高い人でないと覚ることは難しいのです。譬えば、先進国である鎮西に送る宣旨のようなものであります」
「浄土門の修行は、末法濁乱の時の教えなるが故に、下根下智の輩を器とす。これ奥州の宣旨のごとし」
「浄土門の修行は、末法の乱れた時代に適した教えであるから、能力の劣った私たちがそれにふさわしい器なのです。これは田舎である関東へ送られた宣旨のようなものです」
「然れば三時相応の宣旨、これを取り違うまじきなり」
「だから三つの時代にそれぞれ合う宣旨を取り違えてはいけません」
正法の時代には正法の時代に合う教えがあります。像法の時代には像法の時代に合う教えがあります。末法の時代には末法の時代に合う教えがあります。これは入れ替わってはいけません。末法の時代の人に、正法や像法の人のために説かれた聖道門の教えを説いても誰もついていけません。末法の時代の人には、末法の時代の人のために説かれたお念仏でなくてはいけないのです。入れ替わってはいけないのです。
法然上人は長年比叡山で天台宗の教えを学ばれ、修行なさいました。しかし、43才の時に比叡山を下りて、浄土宗を開かれました。天台宗の人からしたら「なぜ山を下りてわざわざ浄土宗なる別の宗を立てる必要があるのか?」と思われても仕方ありません。法然上人54才の時、天台宗の学僧である顕真法印が法然上人に議論を申し込み、大原の勝林院にて実現しました。世に言う大原問答です。多くの天台宗の学僧とわずかな法然上人の弟子が見守る中、一日一夜の白熱した論議が行われました。その結果、どちらの教えもお釈迦さまが説かれた教えであるから、素晴らしく優劣は付けがたいという結論がでました。ただ、今の時代の人々の能力に合っているかどうかという視点からすれば、法然上人が説かれる念仏の方が勝れているという結論が出たのです。それが以下の文章です。
「大原にして聖道・浄土の論談ありしに、法門は互角の論なりしかども、機根比べには源空勝ちたりき」
「大原に於いて聖道門と浄土門の論談があった時、教えについては互角であったが、その教えを受ける人の能力については私のいう念仏の方が勝れていました」
「聖道門は深しといえども、時過ぎぬれば今の機に適わず」
「聖道門は深いけれども、時代が下った今の時代の人々の能力には合わない」
「浄土門は浅きに似たれども、当根に適い易しといいし時、末法万年、余経悉滅、弥陀一教、利物偏増の道理に折れて、人みな信伏しきとぞ仰せられける」
「浄土門は浅いようだけれども、今の時代の人々の能力に合っていると申した時、末法一万年の後、他の経典は悉く滅びるが、念仏の教えだけが残って人々を救う、という道理に折れて、大原問答に集う人々は信伏した、とおっしゃった」
どの宗派のどの教えもお釈迦さまが説かれた教えなのですから、どれも尊く素晴らしいことには違いありません。ただ、それを行ずる人の能力が低いのです。どれだけ素晴らしい教えでも、できなければ仕方ありません。絵に描いた餅のようなものです。お釈迦さまは末法の時代の人ができる教えを残してくださいました。お釈迦さまは阿難さまに、「お前たちには必要がないのかもしれないが、後の人は能力が低くなるから必ず必要になる。だからしっかりと絶やさず後まで伝えてやれよ。」とお念仏の教えを残してくださいました。後の時代の私たちは自分の力で覚ることなど到底できません。でも阿弥陀さまの力でなら極楽へ往生できます。私たちはただ阿弥陀さまがお示しくださる、私たちができる行、念仏を称えるのみであります。
法然上人の教えを「800年も昔の教えは今の時代に合わない」などと批判する人もいます。しかしそうではありません。お念仏のみ教えは末法の時代をターゲットにした教えです。今の時代の人が救われる唯一の行なのです。
後篇第二章 他力往生
(本文)
およそ生死(しょうじ)を出(い)ずる行(ぎょう)、一つにあらずといえども、まず極楽に往生せんと願え。弥陀(みだ)を念ぜよということ、釈迦一代の教えにあまねくすすめ給えり。そのゆえは、阿弥陀佛本願をおこして我が名号(みょうごう)を念ぜん者、我が浄土に生まれずば正覚を取らじと誓いて、すでに正覚をなし給うゆえに、この名号(みょうごう)を称(とな)うる者は必ず往生するなり。臨終の時、諸々の聖衆(しょうじゅ)と共に来たりて必ず迎接(こうしょう)し給うゆえに、悪業(あくごう)として障(さ)うるものなく、魔縁(まえん)として妨ぐる事なし。男女(なんにょ)貴賎(きせん)をも選ばず、善人悪人をも分かたず、至心に弥陀を念ずるに生まれずという事なし。喩(たと)えば重き石を船に乗せつれば、沈む事なく、万里の海を渡るがごとし。罪業(ざいごう)の重き事は、石の如くなれども、本願の船に乗りぬれば、生死(しょうじ)の海に沈む事なく、必ず往生するなり。ゆめゆめ我が身の罪業によりて、本願の不思議を疑わせ給うべからず。これを他力の往生とは申すなり。
(現代語訳)
おおよそ、迷いの境涯を離れる行は少なくありませんが、何よりもまず「極楽に往生しよう」と願いなさい。「阿弥陀仏の名号を称えよ」ということは、釈尊が生涯にわたって説かれた教えのあらゆるところでお勧めになっています。
というのも、阿弥陀仏が本願を立てて、「私の名号を称える者が、私の浄土に生まれないならば、〔決して〕覚りを得ることはあるまい」と誓われた上で、すでに覚りを成就しておられますので、この名号を称える者は必ず往生するからです。
臨終の時、〔阿弥陀仏は、〕諸菩薩とともにおいでになり、必ず〔浄土へ〕迎え取って下さいますから、いかなる悪業も障害とはならず、どのような悪魔も妨げることはありません。男女の別や、身分の高低にかかわらず、善人・悪人の区別もなく、心を込めて阿弥陀仏〔の名号〕を称えるならば、〔浄土に〕生まれないということはありません。
たとえば、重い石も、船に載せたならば、沈むことなく、はるかな海路を渡るようなものです。〔私たちの〕罪業の重いことは石のようですが、本願の船に乗れば、輪廻の海に沈むことなく、必ず往生するのです。
自分に罪深い行いがあるからといって、決して本願の、人知を超えた力をお疑いになってはなりません。これを他力による往生と言うのです。
(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)
(解説)
後編第一章で輪廻のことについて申し上げました。
この世を生きるのは一筋縄ではいきません。
生きるのは大変です。
散々にしんどい思いをして、一生を終えても決して安らかに眠ることなどできません。
生まれ変わるのです。
しかも人間に生まれ変わることはほぼ不可能だとお釈迦さまはおっしゃっています。
お釈迦さまがお弟子の阿難尊者を連れて旅をしておられたある日、ガンジス川の河原に立ち寄られました。
ガンジス川は私も行ったことがありますが、とても大きな川です。
川の両岸は広く、たくさんの砂が積もっています。
お釈迦さまはガンジス川の砂を一握り取り、もう片方の手の人差し指にサラサラとその砂をかけました。
そうしますと人差し指の爪の上に少しだけ砂が残ります。お釈迦さま阿難尊者に尋ねられます。
「阿難よ。ガンジス川のすべての砂と私の指の上に乗っている砂ではどちらが多いか?」阿難尊者は「お釈迦さま、もちろんガンジス川のすべての砂の方が多いです」とお答えになります。
するとお釈迦さまは、「そうであろう。阿難よ。人間に生まれてくるというのは、ガンジス川のすべての砂に対して私の指の爪に乗っている砂ほど、稀なことなのだよ」と仰ったといいます。
ですから、今人間として生まれてきていることは奇跡のようなものだと言えます。
その人間として生まれてきたのに、何もせずに欲望のまま過ごしていたら、次に生まれる先は地獄・餓鬼・畜生といった苦しみばかりの世界ということになってしまいます。
一度地獄・餓鬼・畜生に生まれると、そこから這い出すのは至難の業です。
なぜなら苦しい世界に生まれると善い行いができないからです。
考えてみますと、自分が苦しいときに人のために尽くすことは大変に難しいことでしょう。苦しいときには自分のことで精一杯になってしまいます。
地獄・餓鬼・畜生の世界は人間世界とは比べものにならないほど苦しい世界ですから、善い行いをすることが非常に難しいのです。
ですから、その次に生まれる先もまた地獄・餓鬼・畜生、その次もそのまた次も、結果的に未来永劫に至るまで地獄・餓鬼・畜生の世界を生まれ変わり死に変わりせざるを得ない、ということになります。
第一章でも申し上げましたが、その永遠に生まれ変わり死に変わりを繰り返す、輪廻からの脱出が仏教の目的です。
脱出するには煩悩を無くさなくてはなりません。
その煩悩を無くす方法をお釈迦さまはたくさんお説き下さいました。
その多くは自分で修行して、煩悩を無くす方法です。煩悩を無くして輪廻から脱出することを解脱、出離、成仏、あるいは正覚をとる、覚りを開くなどと申します。
自分を磨いて自力で輪廻から脱出するのです。
わずか数十年の人生の中で修行をし、煩悩を無くして覚りを開くことができずに死んでしまったら輪廻してしまいます。
輪廻しますと前世の記憶はなくなりますから、修行の続きはできません。
かと言って、一口に煩悩を無くすといってもそれは不可能に近いほど難しいことです。
となりますと、殆ど誰も輪廻から抜け出すことなどできないということになります。
阿弥陀さまという仏さまは、そんな私たちの為に極楽浄土という世界をお造りくださいました。
極楽は憎しみも悩みもない、幸せの世界ですが、極楽の一番の特長は修行がし易いということです。
この世は修行がしにくい世界です。
まず生きるのに精一杯で修行に目が向きません。
誘惑も多いです。
そして修行をしようと志しても途中で萎えたり、諦める。
修行を続けても覚りにはほぼ至ることができません。
しかし極楽へ往けば、修行が楽しくて楽しくて仕方がないといいます。
ですから後戻りしません。
極楽へ往けば輪廻の世界に舞い戻ることはありません。
どんどん修行が進み、必ず覚りに至ることができます。阿弥陀さまはそういう世界をお造り下さり、その極楽へ私たちを迎え入れようとお考え下さいました。
しかし折角極楽を造っても、極楽へ往く方法が難しければ同じことです。
阿弥陀さまはお考え下さり、「そうだ、私の名前なら誰でも呼べるであろう。
私の名前に私が修行した功徳すべてを収め込んでおこう。
私の名前を呼んでごらん。必ず私が救ってやるから」とお誓い下さいました。
これを本願と申します。
直接覚りを目指すことは不可能であっても、まず極楽へ往生すればよいのです。
極楽に往けば必ず覚りに至るのですから。
極楽へ往くには難しい修行は必要ありません。
ただ阿弥陀さまの名を呼ぶだけです。
南無阿弥陀仏と称えるだけです。
極楽へ往きたいのであれば、南無阿弥陀仏と称えるのです。
自力では到底輪廻から抜け出すことなどできない私たちですが、阿弥陀さまの力、他力でなら必ずや輪廻から抜け出すことができます。
では本文に移ります。
「およそ生死を出ずる行、一つにあらずといえども、まず極楽に往生せんと願え」
生死というのは「せいし」ではありません。「しょうじ」です。
生き死にではないのです。
生まれては死に、生まれては死にを繰り返すということ、つまり輪廻のことです。
ですからここは「輪廻を抜け出す行は一つではないけれども、私たちはまず極楽へ往生することを願いなさい」ということです。
「弥陀を念ぜよということ、釈迦一代の教えに普く勧め給えり」
「弥陀」とは阿弥陀さまのことです。「念じる」とは称えることです。
つまり「阿弥陀さまの名を称える、南無阿弥陀仏と称えよということは、お釈迦様が一生涯かけて説かれた教えのあらゆるところでお勧めくださっています」
「その故は、阿弥陀仏、本願を起こして我が名号を念ぜん者、我が浄土に生まれずば正覚を取らじと誓いて、すでに正覚を成り給う故に、この名号を称うる者は、必ず往生するなり。
「というのも、阿弥陀さまが本願を建てて私の名前を称える者はもし私の浄土に生まれることができなければ覚りを開かない、仏にならない、と誓われたのにすでにちゃんと阿弥陀仏という仏になっておられるのだから、南無阿弥陀仏と称える者は必ず往生することができる」
「臨終の時、諸々の聖衆と共に来たりて、必ず迎接し給う故に、悪業として障うるものなく、魔縁として妨ぐることなし」
「私たちの臨終の時には、多くの菩薩さま方を引き連れて、阿弥陀さまが自らお迎えに来て下さるから、私たちは煩悩による悪い行いばかりを繰り返してきたが、それが障害にならず、悪魔に邪魔されることもない」
「男女貴賤をも選ばず、善人悪人をも分かたず、至心に弥陀を念ずるに、生まれずということなし」
ここではどうすれば極楽へ往生することができるか、その条件が書かれています。
「男か、女かなどは関係ない。身分が高いとか賤しいということも関係ない。さらには善人か悪人かさえも関係ない。唯一の条件は、心を込めて南無阿弥陀仏と称えるならば、極楽に生まれないということはない」
「例えば、重き石を船に載せつれば、沈むことなく万里の海を渡るが如し」
「譬えて言うならば、思い石であっても大きな船に載せれば、沈むことなく大海原を渡ることができるだろう」
「罪業の重きことは石の如くなれども、本願の船に乗りぬれば、生死の海に沈むことなく、必ず往生するなり」
考えてみると私たちは罪が重いので大きな石を背負っているようなものです。
ですから海を渡ろうと思っても海に入ればブクブクと沈んでしまいます。
しかし本願の船に乗れば大丈夫です。
「罪が重いことはまるで石のようなものだけれども、阿弥陀さまの本願の船に乗れば、生死輪廻の海に沈むことなく必ず極楽へ往生することができる」
「ゆめゆめ我が身の罪業によりて、本願の不思議を疑わせ給うべからず」
「決して自分が罪深いからといって、本願を歌勝手はなりません」
お念仏を称えればどんな者でも救われますよとどれだけ言われても、「私みたいな者が本当に救われるのだろうか」と不安になる人もいます。
しかしそんな必要はないというのです。阿弥陀さまの本願の船はどんな重い罪の者でも運んで下さるのです。
「これを他力の往生とは申すなり」
「この阿弥陀さまの力を他力というのだ」
他力とは決して自分で大した努力もせずに人任せにすることではありません。
自分の力で苦しみの世界、輪廻の世界を抜け出そうと煩悩を無くそうとしてもとてもとても無くすことができない私たちです。
その私たちを、名前を呼べば救うと言ってくださっているのです。
どんな者でも救っていただける阿弥陀さまの力のことを他力というのです。