成道山 法輪寺

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御法語

後篇第二十二章 退縁悪知識

(本文)

往生せさせおわしますまじきようにのみ、申し聞かせ参らする人々の候うらんこそ、返す返す浅ましく心苦しく候え。いかなる智者、めでたき人々仰せらるるとも、それに尚驚かせおわしまし候うぞ。各各の道にはめでたく尊(たと)き人なりとも、悟(さと)り異(こと)に行(ぎょう)異なる人の申し候うことは、往生浄土の為にはなかなか由々(ゆゆ)しき退縁(たいえん)悪知識(あくちしき)とも申しぬべきことどもにて候。ただ凡夫(ぼんぶ)の計らいをば聞き入れさせおわしまさで、一筋に仏の御誓いを頼み参らせおわしますべく候。

 

(現代語訳)

「往生などお出来になりません」とばかり、〔あなたに〕申し聞かせる人たちがおられるそうですが、本当に嘆かわしく気がかりなことです。どのような、学識のある人や立派な人々がおっしゃっても、そのことで決して同様なさってはなりません。それぞれの道では立派で尊敬すべき人であっても、解釈が異なり、修行が異なっている人の言われることは、極楽往生のためには、かえって大変な身を滅ぼす縁とも、道を誤らせるものとも申すべきでありましょう。

とにかく凡夫の考えをお聞き入れにならず、一途に仏のお誓いを頼みとなさいませ。

 

(解説)

法然上人の熱心な信者さんに正如房という方がおられました。

高貴な身分の方で、後白河天皇の娘ともいわれています。

よくお念仏をお称えになる方でした。

 

その正如房様がご病気になられ、もう先が長くないと自覚された。

それで最後一目法然上人にお会いして、お念仏のみ教えをお聞きしたいと、使いを出されるのです。

お使いが来た時、ちょうど法然上人は「別時」という、お堂に籠もって何日もお念仏を集中的に称える行に入っておられたのです。

普通なら、そんな高貴な身分の人が、しかもいよいよ臨終間際の時に最後一目会いたいとおっしゃったら飛んでいくことでしょう。

ところが法然上人はそうはなさらなかったのです。
代わりに長い長い丁寧な手紙を書かれました。

「あなたのご病気が重いとお聞きして、大変驚いております。そんな状態で私にお念仏のみ教えを聞きたいとおっしゃること、大変尊くありがたいことでございます。今お別時の行を行っておりますが、これを中断してそちらへ伺うべきなのかも知れません。しかし今面会してもかえってこの世に思いを残すだけでしょう」

今すでに正如房様は、先が長くないと覚悟しておられるのに、そこに面会に行きますと、かえって「死にたくない」という思いが強くなって苦しむだけになるでしょう。
だから法然上人は、「今あなたが臨終間際だとおっしゃるけれども、もしかしたら突然私が病気になり、先に死ぬかも知れないのですよ。この世はいつ死ぬかも予測できない無常の世界なのです。しかし前から言っているでしょう。お念仏を称える者は極楽浄土へ往生することができるのですよ。お念仏を称える者同士は必ず極楽浄土で再会することができるのですよ、。極楽で会いましょうよ」と励まされたのです。

正如房様が使いに渡された手紙には疑問が書かれていたようです。
病気になりますと、色んな人が色々教えてくれます。

クロレラがいいとか、アガリスクがいいとか、この病院がいいなどと、色々と教えて下さいます。

どの方も、良かれと思って言って下さるのですが、あまりに色々言われると困ってしまう時があります。

まだ健康法や治療法ならば順番に試すこともできますが、信仰のことになりますと、順番に試すことはできません。
正如房様の元にも病気と聞いて色々な人がお見舞いに来てくれたようです。

その人達が「念仏称えても往生なんてできない」とか「こちらの信仰の方がよい」などとおっしゃって、正如坊様は困ってしまうのです。

今まで繰り返し法然上人のみ教えを聞いて、念仏を称えれば極楽浄土へ往生できると信じて実践してきたが、来る人来る人が色んな信仰を押しつけて来るので、不安になってしまわれたのです。
「もしかしたら今まで信じてきた教えは間違っていたのかしら。聞き違えて私が勘違いしていたのかも知れない」
そう思って法然上人にお手紙を書かれたのです。

法然上人は懇切丁寧に長いご返事を書かれました。

今回の後編第22章はその長い手紙の一部分です。

「あなたがまるで往生できないかのように申し聞かす人々がおられるとのこと、返す返すも嘆かわしく心苦しいことです。どんなに賢い人や立派な人が仰ったことであっても、どうかそれにそのまま驚かされないで下さい。それぞれの道には秀でた尊い人であっても、悟り方向が違ったり、行う行が違う人が仰ることは、極楽浄土への往生のためにはかえってよろしくないことで、往生の道を妨げるものとも申すべきことです。ただ凡夫の計らいを聞き入れるのではなしに、一筋に阿弥陀様の誓いを頼りに極楽へ参らせていただくのですよ」ということであります。

よく病気になったり不幸なことが重なりますと、仏教系新宗教の人が来たり、キリスト教系新宗教の人が来たり、色んな怪しい信仰の人達が来るといいます。

普段ならそんな人が来ても気にせず、断ることができます。

しかし、イヤなことがやたらと重なるときもあるでしょう。

身近な人が次々に亡くなったり、思わぬ病気や事故に遭ったり、一所懸命頑張って働いているのに努力が実らずに他人の借金を背負わされたり、この世は色んなことがあります。

そんなとき、「なぜ私だけこんな目に遭わなくてはいけないの?」と思うかもしれません。

そこに「あなたの家の玄関の位置が悪いのです」とか、「お仏壇の方向が悪い」とか「墓石に傷が入っているのが悪い」とか「お念仏を称えていると地獄に堕ちる。南無妙法蓮華経と称えなさい」などと言われますとグラッとくるかもしれません。

「そうか、イヤなことが次々に起こるのはそのせいだったのか」と思ってしまっても不思議はありません。

自分の努力が報われずに不都合なことが続いて起こると、自分以外の何か他のところに原因があるのではないかと思えてくる。

「そうか、念仏を称えていたのが悪かったのか。お題目を称えなければ!」となってしまうのです。

人間とは本当に弱いものです。

また自分より賢い人、しっかりした人に言われるとつい弱気になってしまうこともあるでしょう。

お医者さん、弁護士さん、政治家等々。

そういう人が「あなた、本気でお念仏なんて信じているの?極楽なんてあるわけないだろう」と言われると、「アレ?今まで信じてきた信仰は間違っていたのかしら。こんな賢い人が言うのだから。私が信じていたものは幼稚なものかも知れない」と、グラつくのです。

正如房様もお念仏信仰で間違いないと思っていたのに、いよいよ死が近いという時になって、「念仏で往生なんてできないよ」と色々な人に言われて心が揺らいできたのです。

そこで法然上人に「今まで聞いてきた教えで間違いないですか?」と確認されたのです。

お念仏の教えはちゃんとお経に説かれている仏様の教えです。

賢いとか、偉いと言っても所詮凡夫。

凡夫の中で、凡夫の価値観で上下をつけているだけのこと。

仏さまでもない凡夫の言うこと聞く必要はありません。

極楽浄土は阿弥陀さまの国です。

極楽浄土へ行くには極楽の主の言う通りにしなくてはなりません。

阿弥陀さまは何とおっしゃっているか。

「我が名を呼べ。南無阿弥陀佛と称えよ。私が必ず極楽へ迎え取ってやるから」とおっしゃっているのです。

仏でも何でもない凡夫の言うことを聞くのではなく、仏様の言うとおりにするのです。
当たり前のことでありながら、フラフラとグラつく私達です。

注意しないといけませんね。