成道山 法輪寺

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出世不動明王

法輪寺境内西側の道路に面して不動明王を祀っています。大阪より移転当時は生け垣の内に祀っていましたが、先代住職が外から参ることができるように現在の場所に移しました。昭和55年に法輪寺檀信徒及び近隣の方々のご寄進によりまして参詣所を建立し、多くの参詣者が訪れるようになったのです。

写真は水野南北先生・生誕二百周年記念法要(昭和32年11月10日)

この不動明王の由来を語るには、観相学の大家、水野南北先生について申し上げねばなりません。

観相学と水野南北

観相とは、人の面貌、体型骨格、掌紋足紋などを観察し、その人の将来の吉凶禍福の到来を予見する術です。南北師は、人の吉凶を占うことを目的とするのではなく、凶を吉に、悪を善に改める手段を授ける、という見地に立って庶民を導いたといいます。彼は「人の命運は食の慎みと不慎に在り」と言い、食の慎みによる運命開拓の方法を提唱しました。

南北師の略伝を記します。江戸時代宝暦年間(西暦1760年前後)に大阪阿波座の生まれ、幼名は熊吉といいました。鍛冶を生業にしていましたが、若い頃はひどい放蕩無頼の徒で、世間の評判も悪かったようです。悪事を重ねた後、中年になって心機一転して人相の研究に没頭するようになり、これを終生続けました。著書に『南北相法十巻』『秘伝抜粋一巻』『修身録四巻』があります。弟子は千人にものぼると伝えられます。

南北先生は「食、分限より少なき者は相貌悪しくとも吉なり。相応の福分有って短命なし。尚老年吉なり。食、分限より多き者は、たとえ、相貌善きといえども諸事調いがたし。手もつれる事多く生涯心労たえずして老年凶なり。」「誠の陰徳は我日々喰い費やす所の食物を半膳食せずして天地に延ばすといえども、我より外に知る者はあらじ、是を誠の陰徳と云う」(共に『修身録』より)などと大食する者は幸せになれないと戒めておられます。

誠に身につまされます。飽食の現代を南北先生がご覧になったらいかほどお嘆きになることでしょう。

不動明王像の造立

天保5年11月11日に78歳の生涯を終えます。門人達は師を西天満の法輪寺に葬りました。そして一周忌には師の面影に似せて五尺にあまる不動明王の石像を建てました。その石像は風化し、写し身として青銅の不動尊像を造立しました。この青銅の不動尊像が現在法輪寺に祀る像です。元の石像は足下の台座の中に安置されていると聞いています。

写真は水野南北先生・生誕二百周年記念法要(昭和32年11月10日)

水野南北先生の墓石は昭和38年の移転の際に、多くの檀家墓碑と共に、京都岡﨑にある浄土宗大本山金戒光明寺へ移し、法輪寺歴代住職の墓に隣接して祀っています。今も時折、易学や漢方の研究者から南北師について問い合わせを受けることがあります。

平成30年2月4日『江戸時代の小食主義』(若井朝彦著 花伝社)という南北師『修身録』について著された本が刊行されました。ご興味のある方はご一読ください。

不動明王は真言宗寺院に祀られるものと思われていますが、庶民の信仰を集め、阿弥陀佛を本尊とする浄土宗や各宗寺院に祀られているケースも多くあります。

法輪寺の「お不動さん」は参詣者それぞれの願いと信仰を集めて、永くこの武庫之荘でたくさんの方に拝まれる存在であり続けることでしょう。

資料提供 ブログ『蒼流庵随想~漢方と易学~』
http://souryuanzuisou.blog.fc2.com/blog-entry-422.html

参考文献『江戸時代の小食主義』(若井朝彦著 花伝社)