成道山 法輪寺

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御法語

後篇第三章 機教相応

(本文)

上人(しょうにん)播磨(はりま)の信寂房(しんじゃくぼう)に仰(おお)せられけるは、「ここに宣旨(せんじ)の二つ侍(はべ)るを取り違(たが)えて、鎮西(ちんぜい)の宣旨(せんじ)を坂東(ばんどう)へ下(くだ)し、坂東(ばんどう)の宣旨(せんじ)をば鎮西(ちんぜい)へ下(くだ)したらんには、人(ひと)用いてんや。」と宣(のたも)うに、信寂房(しんじゃくぼう)しばらく案じて、「宣旨(せんじ)にても候(そうら)え、取り替えたらんをば、いかが用い侍(はべ)るべき。」と申しければ、「御房(ごぼう)は道理を知れる人かな。やがてさぞ、帝王の宣旨(せんじ)とは釈迦の遺教(ゆいきょう)なり。宣旨(せんじ)二つありというは、正像末(しょうぞうまつ)の三時(さんじ)の教えなり。聖道門(しょうどうもん)の修行は、正像(しょうぞう)の時の教えなるがゆえに、上根(じょうこん)上智(じょうち)の輩(ともがら)にあらざれば、証(しょう)し難(がた)し。例えば西国(さいごく)の宣旨(せんじ)のごとし。浄土門の修行は、末法(まっぽう)濁乱(じょくらん)の時の教えなるがゆえに、下根(げこん)下智(げち)の輩(ともがら)を器(うつわもの)とす。これ奥州(おうしゅう)の宣旨(せんじ)のごとし。しかれば、三時(さんじ)相応の宣旨(せんじ)、これを取り違(たご)うまじきなり。大原にして聖道(しょうどう)浄土の論談ありしに、法門は互角の論なりしかども、機根(きこん)比べには源空勝ちたりき。聖道門(しょうどうもん)は深しといえども、時過ぎぬれば、今の機に適(かな)わず。浄土門は浅きに似たれども、当根(とうこん)に適(かな)い易しといいし時、末法万年・余経悉滅(よきょうしつめつ)・弥陀一教(みだいっきょう)利物偏増(りもつへんぞう)の道理に折れて、人皆信伏(しんぷく)しき。」とぞ仰(おお)せられける。

 

(現代語訳)

〔法然〕上人が播磨国の信寂房に、「ここに〔天皇の〕宣旨が二つあるのを、取り違えて、九州への宣旨を関東へ送り、関東への宣旨を九州へ送ったとすれば、人はそれに従うでしょうか」とおっしゃったところ、信寂房はしばらく思案して、「いくら宣旨とは申しましても、取り違えたものにどうして従うことができましょうか」と申し上げると、〔上人は、〕「あなたは何とものの道理の解った方でしょうか。全くその通りです。天皇の宣旨とは、釈尊の遺された教えのことです。宣旨が二つあるというのは、正法・像法と末法という三つの時代に適した教えのことです。

聖道門の修行は、正法・像法の時代に適した教えですから、能力の勝れた人たちでなければ覚ることが難しいのです。たとえば九州への宣旨のようなものです。〔一方、〕浄土門の修行は、濁り乱れた末法のっじだいに適した教えですから、能力の劣ったわれわれが、それにふさわしい器なのです。これは関東への宣旨のようなものです。ですから、三つの時代のそれぞれに相応しい宣旨を、取り違えてはならないのです。

大原で聖道門と浄土門の論議があった折り、教えについては両者互角の議論でしたが、その教えを受ける人の能力については私の議論の方が勝りました。〈聖道門の教えは深いけれども、時期が過ぎてしまったので、今の人々の能力には合わないのです。〔一方、〕浄土門の教えは浅いように見えますが、今の人々の能力に合い易いのです〉と述べたとき、《末法一万年の後、他の経典はことごとく滅びるが、阿弥陀仏の名号を称える教えだけが残って盛んに人々に利益を与える》という道理に折れて、どの人もみな承伏されました」とおっしゃったそうです。

 

(解説)

お釈迦さまは今から約2500年前にインドで仏教の教えをお説きくださいました。2500年前と現代を比較しますと、科学の進歩は著しく、比較にならないほど現代の方が発達しています。しかし、科学の進歩と反比例するかの如く、宗教的な能力は衰えています。2500年前の人々は宗教的能力は相当に高く、現代は著しく低いといえます。一つ便利になれば人の能力は一つ不必要になります。ですから、科学が発展すればするほど宗教的能力は衰えると考えられます。
そのようにお釈迦さまの時代は能力の高い人が多かったのですが、何よりもお釈迦さまという最高の先生がおられるのです。お釈迦さまはまるでお医者さまが患者の病状に合わせて薬を処方するかのように、一人一人に合わせて教えを説かれました。お釈迦さまは一人一人の性格や能力を見て、それぞれに修行方法をお示し下さり、能力の高い当時の人々は多く覚ることができたといいます。ですから、仏教徒にとりまして、お釈迦さまがおられた時代というのは最高の時代だったといえるでしょう。
お釈迦さまは当時から、後の人々の宗教的能力が衰えることは予測しておられました。お釈迦さまが亡き後(入滅、あるいは涅槃といいます)、500年ほどは、お釈迦さま在世の時と同様に教えはしっかりと伝わり、人々は正しく修行し、多くの人が覚りました。これを正法の時代といいます。しかしそれ以降徐々に人々の能力が衰えていきます。500年以降の1000年間は、法は正しく伝わり、修行する人も多くいますが、覚る人が減っていきます。この時代を像法の時代といいます。像法の像とは、「似る」という意味があります。仏像は仏さまに「似せて」造られたものですね。つまり像法の時代とは、正法の時代に「似た」時代であるが、正法の時代よりも衰えた時代なのです。像法の時代が1000年続いた後に末法の時代がやってきます。末法の時代には、法は正しく伝わっているのですが、人々の能力が衰えて修行することができなくなり、もちろん覚る人などほぼいなくなってしまうといいます。その末法は一万年続くと言われています。
先に申し上げたように、お釈迦さまはそれぞれの人の能力に合わせて教えを説かれました。何とお釈迦さまは、末法の時代の私たちをも見据えて下さり、教えを説いて下さっているのです。それがお念仏です。お念仏は末法の時代の人々をターゲットにした教えなのです。以上を踏まえて本文を読んで参りましょう。

法然上人がお弟子の「播磨の信寂房」という方と会話をなさっています。
「上人、播磨の信寂房に仰せられけるは、ここに宣旨の二つ侍るを取り違えて、鎮西の宣旨を坂東へ下し、坂東の宣旨を鎮西へ下したらんには、人用いてんやと宣うに、」

宣旨とは、天皇からのお達しが書かれた公文書のことをいいます。鎮西とは九州のことです。坂東とは関東のことです。当時から九州は先進国で、今と異なり坂東は当時は田舎です。「天皇からの宣旨が先進国である九州へ送るものと、田舎の関東へ送るものと入れ替わってしまったら、人々はそれに従いますか?と法然上人は播磨の信寂房さまに質問なさいます」

「信寂房しばらく案じて、宣旨にても候え、取り替えたらんをば、いかが用い侍るべき、と申しければ」

「信寂房さまは少し考えて、いくら天皇の宣旨であっても、行き先が変わってしまったら従うことはできません、とお答えになった」というのです。

「御房は道理を知れる人かな。やがてさぞ、帝王の宣旨とは、釈迦の遺教なり。宣旨二つありというは、正・像・末の三時の教えなり」

「信寂房、あなたは道理のわかった人ですね。全くその通りです。天皇の宣旨というのは、お釈迦さまが説かれた教えを譬えていったものです。宣旨が二つあるというのは、正法、像法、末法というそれぞれの時代にはそれぞれの時代に合った教えがあるということです」

「聖道門の修行は、正・像の時の教えなるが故に、上根上智の輩にあらざれば証し難し。譬えば西国の宣旨の如し」

「聖道門の修行は、正法の時代や像法の時代に適した教えであるから、能力の高い人でないと覚ることは難しいのです。譬えば、先進国である鎮西に送る宣旨のようなものであります」

「浄土門の修行は、末法濁乱の時の教えなるが故に、下根下智の輩を器とす。これ奥州の宣旨のごとし」

「浄土門の修行は、末法の乱れた時代に適した教えであるから、能力の劣った私たちがそれにふさわしい器なのです。これは田舎である関東へ送られた宣旨のようなものです」

「然れば三時相応の宣旨、これを取り違うまじきなり」

「だから三つの時代にそれぞれ合う宣旨を取り違えてはいけません」

正法の時代には正法の時代に合う教えがあります。像法の時代には像法の時代に合う教えがあります。末法の時代には末法の時代に合う教えがあります。これは入れ替わってはいけません。末法の時代の人に、正法や像法の人のために説かれた聖道門の教えを説いても誰もついていけません。末法の時代の人には、末法の時代の人のために説かれたお念仏でなくてはいけないのです。入れ替わってはいけないのです。

法然上人は長年比叡山で天台宗の教えを学ばれ、修行なさいました。しかし、43才の時に比叡山を下りて、浄土宗を開かれました。天台宗の人からしたら「なぜ山を下りてわざわざ浄土宗なる別の宗を立てる必要があるのか?」と思われても仕方ありません。法然上人54才の時、天台宗の学僧である顕真法印が法然上人に議論を申し込み、大原の勝林院にて実現しました。世に言う大原問答です。多くの天台宗の学僧とわずかな法然上人の弟子が見守る中、一日一夜の白熱した論議が行われました。その結果、どちらの教えもお釈迦さまが説かれた教えであるから、素晴らしく優劣は付けがたいという結論がでました。ただ、今の時代の人々の能力に合っているかどうかという視点からすれば、法然上人が説かれる念仏の方が勝れているという結論が出たのです。それが以下の文章です。

「大原にして聖道・浄土の論談ありしに、法門は互角の論なりしかども、機根比べには源空勝ちたりき」

「大原に於いて聖道門と浄土門の論談があった時、教えについては互角であったが、その教えを受ける人の能力については私のいう念仏の方が勝れていました」

「聖道門は深しといえども、時過ぎぬれば今の機に適わず」

「聖道門は深いけれども、時代が下った今の時代の人々の能力には合わない」

「浄土門は浅きに似たれども、当根に適い易しといいし時、末法万年、余経悉滅、弥陀一教、利物偏増の道理に折れて、人みな信伏しきとぞ仰せられける」

「浄土門は浅いようだけれども、今の時代の人々の能力に合っていると申した時、末法一万年の後、他の経典は悉く滅びるが、念仏の教えだけが残って人々を救う、という道理に折れて、大原問答に集う人々は信伏した、とおっしゃった」

どの宗派のどの教えもお釈迦さまが説かれた教えなのですから、どれも尊く素晴らしいことには違いありません。ただ、それを行ずる人の能力が低いのです。どれだけ素晴らしい教えでも、できなければ仕方ありません。絵に描いた餅のようなものです。お釈迦さまは末法の時代の人ができる教えを残してくださいました。お釈迦さまは阿難さまに、「お前たちには必要がないのかもしれないが、後の人は能力が低くなるから必ず必要になる。だからしっかりと絶やさず後まで伝えてやれよ。」とお念仏の教えを残してくださいました。後の時代の私たちは自分の力で覚ることなど到底できません。でも阿弥陀さまの力でなら極楽へ往生できます。私たちはただ阿弥陀さまがお示しくださる、私たちができる行、念仏を称えるのみであります。
法然上人の教えを「800年も昔の教えは今の時代に合わない」などと批判する人もいます。しかしそうではありません。お念仏のみ教えは末法の時代をターゲットにした教えです。今の時代の人が救われる唯一の行なのです。