成道山 法輪寺

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御法語

元祖大師法然上人御法語第二十二章

(原文)

それ朝(あした)に開くる栄花(えいが)は夕べの風に散りやすく、夕べに結ぶ命露(めいろ)は朝(あした)の日に消えやすし。これを知らずして、常に栄えんことを思い、これを覚らずして久しくあらんことを思う。しかる間、無常(むじょう)の風一度(ひとたび)吹きて有為(うい)の露永く消えぬれば、これを広野(こうや)に捨てこれを遠き山に送る。屍(かばね)はついに苔(こけ)の下に埋(うず)もれ、魂は独り旅の空(そら)に迷う。妻子眷属(けんぞく)は家にあれども伴(ともな)わず、七珍萬宝(しっちんまんぼう)は蔵に満てれども益(やく)もなし。ただ身に従(したご)うものは後悔の涙なり。ついに閻魔(えんま)の庁に至りぬれば、罪の浅深(せんじん)を定め、業(ごう)の軽重(きょうじゅう)を考えらる。法王(ほうおう)罪人に問うて曰(いわ)く、汝(なんじ)仏法流布の世に生まれて、何ぞ修行せずしていたづらに帰り来たるやと。その時には我ら如何(いかが)答えんとする。速やかに出要(しゅつよう)を求めてむなしく三途(さんず)に帰ることなかれ。

 

(現代語訳)

そもそも朝に咲く繁栄の花は夕方の風に散りやすく、夕方に結ぶ生命の露は翌朝の陽に消えやすい。これを知らずに常に繁栄することを求め、これをわきまえずにいつまでも生きていることを願うのです。

そうしている間に、一度無上の風が吹いて、はかない露のような命が永久に消えてしまうと、遺骸を広野に捨て、あるいは遠くの山に葬送します。屍は終に苔の下に埋もれ、魂はひとり、旅の空に彷徨います。妻子や親族が家にいても連れ添ってはくれません。金銀財宝が蔵に満ちていても何の役にも立ちません。ただ我が身につき随うものは、後悔の涙だけであります。

ついに閻魔大王の庁舎に着くと、(生前に犯した)罪の深さが鑑定され、善悪の行為の重さが裁かれます。大王が罪人に尋ねて言うには、「お前は仏法が流布している世に生まれながら、どうして何の修行もせず、空しく(ここに)戻ってきたのか」と。その時に我々は一体どう答えようというのでしょうか。

速やかに、輪廻を脱する要道を求めなさい。空しく三途に戻ってはなりません。

(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会刊)

 

(解説)

このご法語のテーマは「無常」です。
無常とは、あらゆるものは変化するということです。
あらゆるものは変化し、形あるものはかならずいつか壊れる。
生きとし生けるものは一瞬一瞬に老いてゆき、病にもなりいつか必ず死にます。
それもいつ死ぬかわからないのです。

こんなことは誰でも知っていることです。
頭の中では誰もが当たり前のこととして、わかっていることです。
でもそれを考えると辛いものですから、普段はできるだけ考えないようにします。
死が迫ってきたとしても、死ぬということを考えることは縁起が悪いことだと、目を背けます。
しかし、どれだけ死を見ないようにしようとしても、嫌がっても、必ず誰もに死は訪れます。

法然上人は「必ずいつか命は尽きるのだから、のんびりしていてはいけませんよ、今お念仏を称えなくてはなりませんよ、死んでから後悔しても遅いですよ」とおっしゃるのです。

では本文を見て参りましょう。

「それ朝に開くる栄花は夕べの風に散りやすく、夕べに結ぶ命露は朝の日に消えやすし」
「朝に開いた花も夕方に風が吹けば簡単に散ってしまい、夕方に降りた露も朝の日の光によって蒸発してしまいます」

朝に開いた花は「栄える者」を表します。
どれだけ権勢を誇った者もそのままであり続けることは不可能です。
有名な平家物語には、当時「平家にあらずば人にあらず」とまで言われ、権勢を誇っていた平家が滅びていく様を語っています。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」と書かれています。

私たちも調子の良いとき、楽しいときは「その状態がいつまでも続く」と思い、また思おうとします。
しかしそれが続くことはあり得ません。
あり得ないのにそれがわからず、あの時はあんなに楽しかったのに」といつまでも良い状態の頃を思い、今を嘆くのです。

夕べに結ぶ命露は「人の命の儚さ」を表します。
生きていれば老いるのが当たり前、病になるのも当たり前です。
そして死ぬのは当たり前です。
でも老いることを認めず「アンチエイジング」などと言って、少しでも老いを先延ばしにしようとします。
しかしどれだけ抵抗しても確実に老いは進みます。
それを認めずに「少し前まではあんなに体の調子がよかったのに…」と思い、病になれば「なぜ私だけがこんな目に遭わなくてはならないの…」と嘆くのです。

「これを知らずして常に栄えんことを思い、これを覚らずして久しくあらんことを思う」「この無常の道理を知らずに常に栄えていようと思い、無常の道理を覚らないからいつまでも生きていようと思う」ということです。

「しかる間、無常の風ひとたび吹きて、有為の露永く消えぬれば、これを広野に捨てこれを遠き山に送る」
「そうこうしている間に、無常という名の風が一度吹けば、人間としての命は簡単に消え、遺体は広野に捨てられ、遠い山へと送られる」

今は死ねば遺体を火葬にするのが当たり前ですが、少し前までは土葬も残っていました。
もっと前は、遺体をそのまま野山など一定の場所に遺体を棄てていました。
京都には「西院」という場所がありますが、元々は賽の河原の「賽」であったところを、「さい」という音に西院という漢字を当てたのだそうです。
あの辺りまでが洛内で、あれより西は洛外でした。
嵐山の辺り、化野(あだしの)などは正に死体の捨て場だったそうです。
東山でも蹴上辺りは死体を棄てる場所だったと聞きます。
各地方にそういう場所があったようです。

「屍はついに苔の下に埋もれ魂は独り旅の空に迷う」
「屍はとうとう苔の下に埋もれ、魂だけが独り旅の空に迷う」

「妻子眷属は家にあれども伴わず、七珍萬宝は蔵に満てれども益もなし」
「妻や子、家族が家にいても一緒に逝くくとはできず、どんな宝が蔵を満たしていたとしても何の役にも立たないのだ」ということです。

「ただ身に従う者は後悔の涙なり」
「ただこの身には後悔の涙のみが残る」

「ついに閻魔の庁に至りぬれば罪の浅深を定め、業の軽重を考えらる」
「ついに閻魔大王のところに行けば、大王が罪の浅い深いを定め、業が軽いか重いかを考えて下さる」

閻魔大王は譬えです。
仏教では悪いことをする者は当然地獄に往き、欲深い者は餓鬼に往きます。
それは閻魔大王が判断するのではなしに、自然の摂理として業によって行き先が決まるのです。

「法王罪人に問うて曰く、汝仏法流布の世に生まれて何ぞ修行せずして徒に帰り来たるやと」

私たちは罪人なのです。
何の罪の意識もないのに煩悩があるだけで、知らず知らずの中に罪が積もっていきます。
罪の意識がないから余計にたちが悪いのです。
改善しようともしませんし、指摘されても「誰だってやっているじゃないか」と開き直ってしまいます。
また、気づいたところで自分の力ではどうにもなりません。

そういう私たちに閻魔大王が罪人に尋ねてこう言うのです。
「お前はこれだけ仏教が広まっている時代に生まれてきたのになぜ何の修行もせずにのこのここんなところに帰ってきたのか!」

「その時には我ら如何答えんとする」
「その時にどう答えるのか」

「速やかに出要を求めて虚しく三途に帰ることなかれ」
「さっさと苦しみ迷いの世を逃れることを求めて虚しく三途に帰ってくることがないようにしなくてはいけませんよ!」

三途とは「地獄・餓鬼・畜生」です。
「三途に帰る」とあります。
私たちは三途から来たから三途に帰るのです。
地獄か餓鬼か畜生にいて、そこで多少なりとも善いことをして、ようやく人間として生まれ、ようやく仏教の教え、お念仏の教えに出会ったのです。

それを「念仏なんて陰気くさいことしてられない」などと言ってお念仏を称えないようでは救われようがありません。
今おかれている自分の状況をしっかりと見つめ、今お念仏を称えなくてはならないことに気づかねばなりません。
そうしないで地獄に堕ちてから後悔しても遅いのです。今が称える時です。

非常に厳しく、また身につまされるお言葉です。
法然上人はやきもきしていらっしゃることでしょう。
「のんびりしている場合じゃない!今称えよ!」と。