成道山 法輪寺

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御法語

元祖大師法然上人御法語 後編 第十九章

(本文)

孝養(きょうよう)の心を持て、父母(ちちはは)を重くし思わん人は、まず阿弥陀仏(あみだほとけ)に預け参らすべし。我が身の人となりて、往生を願い念仏することは、一重(ひとえ)に我が父母(ちちはは)の養いたてたればこそあれ。我が念仏し候う功徳(くどく)を哀れみて、我が父母を極楽へ迎えさせおわしまして、罪をも滅しましませと思わば、必ず必ず迎え取らせおわしまさんずるなり。

 

(現代語訳)

孝行の心をもって、父母を大切に思う人は、まず阿弥陀仏にお任せするのがよいでしょう。「自分が一人前になって、往生を願い、念仏することは、、ひとえに父母が私を養育してくれたからこそなのです。私が念仏する功徳を心からお喜びになって、父母を極楽へとお迎え下さり、その罪を滅して下さい」と願うならば、必ず必ずご両親を迎え取って下さるでしょう。

(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布師会刊)

 

(解説)

今回の御法語は非常に短く、平易なわかりやすい文章です。
この御法語は、法然上人には珍しく、「孝養(きょうよう)」がテーマです。
孝養の下に父母と書いて、「きょうようぶも」と読みます。
普通の読み方ではこうようふぼですが、仏教の読み方ではきょうようぶもです。
いずれにしましても、意味はいわゆる親孝行のことです。

法然上人は阿弥陀さまのご恩については多く語られますが、親の恩について語られることはそう多くはありません。
我々のような者であっても南無阿弥陀仏と称えて阿弥陀さまにお任せしておれば、この苦しみ迷いの娑婆世界から絶対の幸せの世界である極楽浄土へと救い取って下さるご恩に酬いなくてはならない、ということです。
それとは異なり、今回は親の恩についてです。

読んで参ります。
「親孝行の心をもって、両親を大事に思う人は、まず両親を阿弥陀様にお預けする、阿弥陀さまにお任せするしてこのように考えてみるのです。私がこうやって人間として生まれ、往生を願ってお念仏を称えることができるのは、ひとえに両親が育ててくれたからこそのことなのだ。だから阿弥陀さま、どうぞ私がお念仏を称えた功徳にお慈悲を垂れ給い、両親を極楽へお迎えいただき両親が今まで重ねてきた罪も滅して下さいと願うのです。そうすれば阿弥陀さまは必ず両親を極楽へ迎え取って下さるでしょう」ということです。

大乗仏教には「回向(えこう)」という教えがあります。
回し向けると書いてえこうと読みますが、何を回し向けるのかというと、功徳を回し向けるのです。

ですからまず自分がお念仏をお称えして、阿弥陀さまから功徳をいただくことが大切です。何もしないで人任せにしているのを回向とは言いません。

ここでは、「自分はお念仏の教えと出会って、お念仏を称えるご縁に恵まれたから間違いなく往生させてもらえるだろう。でも両親はお念仏の教えも知らず、仏教の教えに出会うこともなく亡くなっていった。自分にとっては良い両親であったけれども、もしかしたら地獄や餓鬼道に墜ちているかもわからない。阿弥陀さま、どうか私同様両親も極楽へ往生させて下さい。阿弥陀さまに両親をお任せします」と心を運んでお念仏を称えるのです。

私はよくお通夜の時に「みなさん、亡き方を阿弥陀さまにお任せしてご一緒にお念仏を称えましょう。阿弥陀さま、○○さんをよろしくお願いしますという思いでお念仏をお称えして極楽へお送りいたしましょう」と申し上げます。
両親とは限りませんが、念仏信者はどなたをお送りする時も、このように回向します。

ここでは極楽へ往生していない人を「極楽へ往生させて下さい」と回向しますが、我々のご先祖はお念仏を称えてこられましたから、すでに極楽におられます。
ですから、極楽におられるのに「極楽へ往生させて下さい」と廻向する必要はありません。

我々が行っている法事や月参りは何のためにやっているのでしょうか。
極楽へ往生した人は、そこで修行なさいます。
阿弥陀さまの元で修行し、悟り開いて仏になるまで、阿弥陀さまにお育ていただくのです。このように仏になることを「成仏」と申します。

「往生」は極楽に生まれることです。
「往生」と「成仏」は混同して使われることがありますが、意味は異なります。
極楽浄土へ「往生」して、そこで修行して「成仏」するのです。

その極楽で修行なさっている方に、「私が積んだ僅かな功徳ですが、修行が一歩でも進むようにお使いください」と回向するのです。
私が積んだ功徳は少なくても、阿弥陀さまが介在してくださいますから、大きな功徳となります。
これを「追善回向(ついぜんえこう)」といいます。

往生を願う回向も往生した方の修行を応援する回向もどちらも大切です。
生きている間に親孝行することはもちろん大切ですが、生きている間にできることには限界があります。
所詮欲望を満たして差し上げることぐらいしかできません。

よく親を介護される方がおっしゃいます。
「尽くしてやりたいけど自分もしんどいからついつい腹を立ててしまうんです」
なかなか本当に良いことはできない私たちです。

亡くなってから「苦しいところにいるなら極楽へ往生してよ。極楽にいるなら早く仏になってね」と回向することは、この世で孝行するのに比較にならないほど大切な孝行です。

「孝行したい時に親はなし」といいますが、決してそんなことはありません。
亡くなってからも、いくらでも孝行することができるのです。